小学生くらいの頃、もっと強くなりたいと思ってました。

 

 

ケンカや腕力の強さじゃなくて、精神的な強さ。

 

 

クールで動じない物語の主人公に憧れて

サムライが好きだったのもそういうところ。

 

 

傍からどう見えていたかはわからないけど

自分の弱さを自覚していたんだと思います。

 

 

願った通りいつの間にか「クールで動じない人」っぽくなっていて。

そんな自分でいられることが嬉しくて、だんだん、自覚してた自分の弱さを忘れていった。

 

 

 

 

それを思い出したのは、30代も後半になってから。

 

 

私は気づかずに鎧をつけていただけで強くなんかなかった。

感じなくする術を身につけてただけだったんだ。

 

 

ちょうどその頃「HSP」という言葉を見聞きするようにもなって

そうか、私もそうなんだ!って安心したのを覚えてます。

 

 

鎧をつけなきゃいけないほど繊細で弱い人間だったんだ。

なんかちょっとかわいいじゃないか。なんて思ったりもした。

 

 

そうして自分の弱さを自覚したら、今度は怖いものが増えた。

感じなくしていただけだったもの。

 

 

自覚して鎧を脱ぎ着することにして

なんとか日々を乗り切っていたときもありました。

 

 

 

 

そしてあるとき気づいた。

 

 

ちょっと待って。

私、言うほど繊細でもなくない?(゜゜)

 

 

私はクール

私は繊細

私は強い

私は弱い

 

 

何かに私をはめ込みたかったみたいだけど

どれも私にあるものだった。

どっちかになる必要ってあったのかな?

 

 

両方に振れてみて、どっちもあっていいに落ち着いたのでした。

 

 

 

 

どっちもあっていいところにいて思うのは

 

 

私が憧れた"強さ"は

何があっても動じないことではなくて

何を感じても大丈夫とわかっていること。

 

 

表面的な強い↔弱いとは別のベクトルにある

内なるパワーという指標。

 

 

これはどんなときも、誰の中にもある。

 

 

 

 

何が起きても引き受けられる許容力。

微細に見聞き触れるものを感じ取ることができる吸収力。

周りに安心や勇気を与えられる包容力

怖くて仕方がない。そこに留まれる胆力。

 

 

全部、私たちに備わっているパワーなんだ。

 

 

そんな内なるパワーを思い出させてくれるストーリーが始まるのでワクワクしております。

 

 

 

https://tokyo-revengers-anime.com/

 

 

強がってんじゃねーぞ

弱ぶってんじゃねーぞ

あんだろ?お前の中にも!

ってお腹の奥底が動く感じがするのです。

 

 

髭ダンの主題歌もいい♡

 

 

"ヒーローぶって笑っていた

あなたの両頬を拭うまで止まらない"

 

 

私たちが自分を信じ、パワーを解放していくことを願いながら

何度も何度も必要なことは形を変えて起こされる。

 

 

そんな愛にこの世界は満ちていると思う。

 


弱さ、脆さ、絶望も呑み込んで錬金していくのだ。

 

 

強がらず、弱ぶらず。

強がっても、弱ぶっても。

何度でも内なるパワーを思い出そう。