お久しぶりです。

 

 

書きたいことはいろいろありながら

とらえどころのなさというか

言葉になりきらない感じがあって

ブログに向かえずにおりました。

 

 

こういうとき何が起きているのか?

 

 

そんなことも追々言葉にしていけたらいいなぁと思いつつ…

書きたいことから書いていこうと思います^^

 

 

まだまだ暑いけどお盆を過ぎて風の感じが変わりましたね@福岡

 

 

 

「流れていってしまうから」

 

 

友人たちとの話の中に出てきたフレーズです。

 


自分が感じたこと

気付いたこと

学んだこと

それらはその瞬間が「旬」で

時間がたつごとに薄れていく。

 

 

忘れてしまったり

思い起こしてもそのときほど気持ちの高まりがなかったり。

 

 

確かにほんとそう!

 

 

そのとき捉えたものをそのまま言葉にしたものと

少し置いてから言葉にしたものは

どう見ても別物です。

 

 

ただ、どっちがいいということもないんだなぁって最近よく思います。

以前はね、旬が一番!って思ってました。

 

 

 

今言いたい。伝えておこう。

そうして出たものには大きな熱量があるし

 

ちょっともうちょっと言葉になるの待ってから出してみよう

そうして出たものにはじわっとしみ込む深みを感じたり

 

そんなこんなしているうちに流れ去ってしまった

出なかったものは今出さないで良かったものなのかもしれない。

 

 

きっと全部がそれで良かった。

いや、それ良かった。

 

 

のだとしたら?

 

 

 

 

結局、今の自分の気持ちに従って

やったこと、やらなかったことどちらも

自分の頭ではまったくわからないし

それがいいなんて全然思えなくても

自分や誰かや世界にとっての何かいいことになってるのかもしれない。

 

 

そんな風にみると

自分に優しくなれる気がします。

 

 

そして優しくいると望むほうに動き出していくことになる。

そんな感じがあるのです。

 

 

 

 

やるって決めたのにやれてない。

やりたい気持ちはあるのに行動が伴なわない。

思うように表せない。

どうしたらいいかわからない。

 

 

そんなことを死ぬほど思ってきたけど

いや、実際死んだ。地味に死んでたと思う。チクチク刺して。

そんな自分を叱咤激励してもしなくても

落ち込んでも落ち込まなくてもよくて。

 


結局いつかは自分の望むところにたどり着く。

それに必要な道を今歩いてる。

それは明日かもしれないし来世かもしれないけど

どのみち今の私にとっての最高最善なのだ。

 

 

おかげで

できないという人の気持ちがわかるようになった。

わからないという人の気持ちがわかるようになった。

自分を苦しめていた思い込みに気付けた。

 

 

どこをどう歩いてもおかげさまはいっぱいです。

 

 

そこを通らなくても良かったかもしれないけど、通ることになったのだ。

ということは、それが自分を通して何かになるのだろう。

 

 

 

 

大切なのは

 

ほんとは私はどうしたいのか?

自分の望みをわかろうとすることと

今感じていることを認めること。

 

 

これすらしてもしなくても

どのみち望む世界にたどりく。

 

 

とはいえ、この2つをしているとき

していないときと比べて

とても心と体の楽さを感じられると思う。

それがときに苦しい感情だったとしても。

 

 

 

 

...なんて比べて実感できるのは、

自分の本音に耳を傾けることなく

感じることを避けてきた

これまでの歩みのおかげさま。

 

 

これをしないで生きてこれたらどんなに良かっただろうと思うこともあるけど、

同じくらい自分自身や自分人生を慈しむ気持ちも生まれてくるのです。

 

 

ゆりちゃんにも会えたしね

 

 

悪くない。

 

 

悪くない感じですよ。