望む未来を選ぶのに必要なのは

望みを知っていること。

望む未来はこれとわかっていること。

 

 

でも、これ結構簡単に流されてしまうものかもしれないです。

 

 

 

 

先日、ダンナさんと実家に帰ったときのこと。

 

 

家に帰ろうと車で1時間くらいきたところで

ダンナさんが忘れ物を思い出した。

それをとりに戻るって言うんですよ。

 

 

まっすぐ帰ればあと1時間。

戻ればここから3時間。

えーーーっ!!ってなるじゃないですか。

 

 

じゃぁドライブ楽しもう♡

なんて全く思えない。

ふて寝しようにも眠くない。

 

 

 

 

…で、しばらくふてくされて思ったのです。

そういう私をなんとかしようとしないダンナさんがほんとに神だと思う。

 

ここはひとつの分かれ道だ。

 

 

不機嫌になって車に乗り続けるのか

ダンナさんとすごす時間を楽しみたいという

本当の気持ちを大事にするのか。

 

 

「戻って良かったね」

そう思える未来を選びたい。

 

 

で、行こう行こうと言いながら

行く機会を作らずにいた稲佐山に

ついでにのぼって帰ることにしました。

 

 

まだ乗ってなかったスロープカーに乗って。

 

 

 

 

お天気もいいし、次の日休みだし。

夜景見てから帰って遅くなっても

大丈夫でしょう?ということで。

 

 

長崎はよく行っているけど

‟暮らし”という感じなので

こういうのは久しぶり。

 

 

非日常の旅行気分も味わえた。

 

 

 

 

忘れ物を取りに帰った家では

もうひとつ忘れ物があったことに気が付いて。

 

 

いろんな意味で望み通り

「戻って良かったね」

というところに着地したのでした。

 

 

 

 

嫌だいやだという気持ちを抱えたまま

 

あぁなったらどうしよう、こうなるに違いないと

起きてほしくないことに意識を向け続ける

 

じゃぁどうだったら嬉しい?といえば

誰をどうしたい、何がどうだったらいいは出てきても

自分がどうだったらいいかはわからない。

 

もんもんとしたものを昇華しきれず

エネルギーを消耗する。

 

 

そういうことをいっぱいしてきました。

 

 

 

 

自分は何を大事にしたいのか?

自分にとっての喜びはなんなのか?

 

 

「ダンナさんと過ごす時間を楽しみたい」

そこで思いついたのが稲佐山に行くことだった。

 

 

結果、家に戻るのに3時間どころじゃなくかかったけれど

「早く家に帰りたい」は、そのときの私にとって一番優先したいことではなかったってことです。

 

 

良かったなと思うのは

・望む未来を選択しようと気づけたこと

・自分の本当の気持ちをわかっていたこと

・それを大事にしようと思えたこと

・思いついたことを伝えてみるができたこと

 

 

 

 

こういう選択の瞬間は

日常にいっぱいあるけど、

気付かず流されたり

いつものパターンにハマったり

どうしたいがわからなかったり

わかっていても選べないときもあります。

(というか選ばないことを選ぶとき)

 

 

あぁ、あのときもそうだったと

後からでも気がつくことがあっても。

 

 

少しずつ、少しずつ、望むほうへ。