こうして念願の

時間と場所の自由がある中で

好きでいくらか得意なことを

仕事にするというステージに立ち

滑り出しも順調でした。

 

 

にもかかわらず

私はその流れを自ら止めに入ります。

自らそうしているという自覚もないままに。

 

 

 

 

そういえば昔から

これといってやりたいことがない

夢らしき夢も特にない

そんな中で

何を思いどう選択・決断してきたのか?

振り返りながらつづってきました。

 

 

思いがけずシリーズものになったけど

今日は一応最終章です。

 

 

これまでの記事はこちらです。

▼序章▼

▼就職編▼

 

 

 

 

 

おかしいなぁ。

こんなはずじゃない。

 

 

自分のペースで

好きなこと

得意なこと

自分を活かせることを

仕事にしたら

“こうなれる”

 

 

そう思っていたものとは

違う世界がそこにありました。

 

 

本当に好きなことじゃないから?

本当にやりたいことじゃないから?

本気が足りない?

何が違う?

 

 

それでもやるだけやってみようと

あれこれ取り組んでみるものの

気分がいいのはやった感を感じるそのときだけ。

 

 

結局は元通り。

至らない自分を責める材料になるばかりでした。

 

 

 

 

環境を変えたことも

働き方を変えたことも

職種を変えたことも

それで良かったことはいっぱいあった。

 

 

でも、何をしようと

それをする自分自身が基だから。

 

 

その自分自身をみることなしには

何をしたところで

きっと私が望む感覚は得られないだろうと

思うようになりました。

 

 

 

 

「外側をどうにかしようとするのでなく

それを引き起こしている自分自身に目を向ける」

 

 

自分を知ること、

内観・自己対話の世界に興味をもって

真剣に取り組むようになったのだけど…

 

 

それすら

認められない自分とままならない現状を

どうにかしようとするためにやっていた

と気づいたときは絶望したなぁ(-_-)

 

 

けれど、この絶望がまたひとつの転機になった。

 

 

今は思うんですよ。

 

 

「喜んで絶望しよう」

 

 

 

 

ここから

自分自身への見方や関わり方が

少しずつ変わりだして

 

 

自分自身と手をつなぐことを

ぎこちないながらも

ほんとの意味でし始めたのだと思います。

 

 

無意識でなく、意識的に。

 

 

そんなことを続けてるうちに

私は自分のやりたいことというか

何をするかの奥にある

 

 

感じ合いたいもの

創り出したい世界

が、より具体的になっていきました。

 

 

 

 

感じ合いたいもの

創り出したい世界

そのために

どの角度から何をするのかの違いがあるだけ

 

 

なので、

仕事かプライベートか

ONかOFFか

その境目が薄くなってもきました。

 

 

これが何より嬉しい感覚でした。

 

 

 

 

自分に目を向けることをしなくたって

喜びに生きていく人はいるだろうし

意図せず自然とできてしまう人も

いるのでしょうね。

 

 

ただ私は性分としても

根本の部分にとっても

興味があるようです。

 

 

想いの生まれ出る源に。

本音と気づいてもない音と出会い

そこから創造される世界に。

 

 

これまでの紆余曲折が

ここにたどりつくため…

かどうかは知らないけど(笑)

 

 

しばらくこの道を進んでみようと

思ってます。

 

 

 

 

「外側に一喜一憂するのでなく

内側から望む世界を創りだす

生き方をしてみたい」

 

「自分自身ともっと仲良くなりたい」

 

「自己対話ってどうやって?」

 

そんなあなたとは、

一緒におもしろいことができそうです。