音楽療法の実習生時代のときのこと。

何がスイッチだったのか

ボロボロと泣き出した方がいて。

 

 

それを知ってか知らずか

変わらずセッションは続いてく。

私はそこにただいるしかできなくて

というか離れていいものかもわからなかった。

 

 

振り返りのときにそのことを話したら

「そのまま、涙が出るままに」と

先生は言う。

 

 

「でも、目の前で泣いてるんですよ」

って、そんなのひどいと言わんばかりの口調で

先生に言葉を返したのには自分でも驚いたけど。

 

 

私は泣くことはその人にとって

良くないことが起きていると

思っていたようです。

 

 

涙がでるということが

いかに健全で

許しであり

癒しとなるのか

 

 

それを知ったのは

もっと後になってのことでした。

 

 

 

 

笑顔や怒りの奥に心を押し込めて

ふんばってきた人は

いっぱい泣いたらいいのかもしれない。

 

 

かくいう私は

怒りを怒りとして出すことで

許しと癒しを感じたひとりです。

 

 

誰にも見られないノートに吐き出すことすら抵抗があった。

 

 

感じちゃいけないものは何もない。

 

 

なぜ、私たちは喜怒哀楽を

感じるようにできてるのか?

 

 

それはきっと、

私たちにとって必要なものだから。