このお題を見て思い出した話をひとつ。
昔々、同じ職場にみんなからとっても可愛がられていた女の子がおりました。
その子が付き合いだしたお相手は、けっこうな年の差(年上)のバツイチ男性。
しかも結婚する流れになっていく中で、みんなで反対…というか心配したことがありました。
その彼は、女性にだらしがないという話も耳に入っていたし、ほんとにその人で大丈夫なのかと。
お相手のことは何度かお見かけしたり挨拶したことがあったのだけど、まぁ私だったら選ばない。こういっちゃなんだけど近寄らずにすむならそうしたいくらいの人。
良く知りもしないでほんと失礼なんだけど(^^;あくまでも"私にとっては"の話。
みんな彼女のことが大好きだったし、しあわせでいてほしかった。
だから話を聞いたりしたりした。
ほんとにいいの? 大丈夫なの?
"よかれと思って"
彼女の気持ちはずっと変わらなくて、しかもご両親も認めているという。
もう周りがとやかく言うことじゃない。
そもそもその彼のことをそこまでよく知ってるわけでもないんだし。
一緒にいたいと思う何かが彼女にとってはあるのだろう。
未来への心配に対して彼女は笑って言いました。
「んーあるかもですね~。どうでしょうねー」
あぁ、この子は…
そのときはそのときで起こることを引き受けるんだろうな。
未来への心配より、今、彼と一緒にいたい気持ちを大事にしたんだ。
そんな彼女がなんだかとってもかっこよく見えました。
WellingtonによるPixabayからの画像
その後、二人は結婚して彼女はお母さんに。
子育てをしている彼女は(大変そうではありながらも)とてもしあわせそうでした。
だんなさんも子どもたちをとてもかわいがってくれているという。
女性の影のちらつきはなきにしもあらずらしい(笑)
良かれと思ってではあったけど、私はあのときのことを彼女に謝りたい気持ちになった。と同時に、彼女が自分を信じて自分の道を選んだことを本当に良かったと思いました。
あれからしばらく会っていないけど、今はどうしてるかな。
何はどうあれ自分の信じる道を歩いていてくれたらと思う。
それが一番しあわせなことなんじゃないかって彼女が教えてくれたから。
夫婦のあり様も、その関係から何を学ぶのかも人それぞれ。
考えてみれば当たり前のことなんだけど。
"こういうのがしあわせ“っていう形ににあてはめて見ることを、自然とやっていることがある。
きっとあのときの私は、彼女の話を聴いているようで聴いていなかった。
今の私なら…いや、わからないけど(苦笑)
言わずにいられない気もする
あのとき彼女にできなかったことは他の誰かに。
大事にしたいものはなんなのかを観じて、その人の選択を尊重しようとするもので
あろうと思うのです。