本音=本当の音を奏で合いたい

 

 

と思っているし、みんながそう在りながら生きるとき世界は幸せしかならないと信じてます。

たとえ一見、自分にとって都合が悪いと思ったり、嫌だなと感じることが起きたとしても。

 

 

結果これで良かった。

むしろこっちで良かったとわかった。

大切なことに気づけた。

っていうかありがとう。

 

 

どのみちありがとうになる世界。


 

 

 

信じてますと言いながら、いつもそう在れるかというとそうでもなかったりするのです。

 

 

なんだかんだと理由をつけて本音を見えなくしてみたり

何が本音かわからなくなったり

本音と思ってたけどなんか違ったと後からわかったり。

 

 

本音ってなんなんだろう?

 

 

それらが重なり奏で合うとき

(そう感じたとき)

私はとっても幸せな気持ちになります。

 

 

本当の音は、誰かを傷つけるどころか結果みんなの幸せにつながってしまう。

 

 

あのとき発した音はなんだったのかは、 後からわかるのかもしれないです。

 

 

 

 

目を向けるのは、嫌なことを引き起こした誰かや何かでなく、そう感じた自分のほう。

 

 

こじれようが

勘違いだろうが

なにを引き起こそうが

自分自身の本当の音を聴こうとすること

あきらめないでいようと思っています。

 

 

それは、他の誰かの本当の音を聴くことにもつながっているから。

 

 

実家のゆりちゃんには本音も嘘音もなさそうです