「悪いのはわたし 2話」の続きです。







理佐side──


ガチャン、乱暴な音をたてて開いたのは私の家のドア。


レストランで結ばれた私たちは──


「んっ、ハァ、うんん、りさ……さんっ、ふ」


玄関で熱く情熱的なキスを交わしていた。


失恋して、いや亡恋して、新しく始まった恋。


私のために涙を流してくれたひかるちゃんが愛おしくて愛おしくて、もう過去に縛られたくなくて、私は心のままにひかるちゃんを求めた。レストランでの出来事を思い出す。


『由依さんも言ってましたけど……私も明日、オフです』


顔を赤くしながらそう言ったひかるちゃん。その言葉の意味するところが分からないほど、私は鈍感じゃない。


『じゃあ……うちおいで?』


躊躇うことなく飛び出た提案に、彼女は小さく頷いた。


しつこく鳴り続けるスマホは、とっくの昔に電源OFF。


私には、もうひかるちゃんしか見えていなかった。


そんな雰囲気ですることは決まっていて、だから、少し急ぎ足で私の家に向かったふたり。玄関の鍵を回して、ドアが開いたと同時に、それが閉まるのも待たず唇を合わせた。


ひかるちゃんは、背が低い。


だから、彼女は背伸びをして私の首にしがみつく。


私もそれに応えるように猫背になって唇を重ねる。


レストランでのキスよりも大人のキス。


お互いの吐息が艶っぽくて、ついヒートアップしちゃう。


いよいよ興奮してきた私は、ひかるちゃんを抱えあげ、寝室へと歩を進める。そっとベッドに降ろし、また、向かい合ってキスを。自然な流れで私が上になり、彼女を見下ろした。


「ハァ、ハァ……ひかるちゃん、こういうの初めて?」


そう尋ねて、その白い首筋に顔を埋める。


舌を這わせれば、小さな体がビクつく。


「は、はい。んっ、大好きな人のために、んん」


取っておいたんです、という嬉しい言葉は吐息に消えた。


「ん……可愛いね、ひかるちゃん」


首筋から鎖骨へと唇をズラしながら囁くと──


「もっ……恋人なんだから、ひかるって呼んで、んっ」


そんな、恐ろしいくらい可愛い返答が返ってくる。


「っっ……ほんと、可愛すぎ、ひかる」


もう無理だ。


我慢できない。


恋人に浮気されて、後輩に告白されて、外野から見れば寂しさを埋めようとしているように見えちゃうのかも。でもそんなの関係ない。だって、こんな私に優しくしてくれて守ってくれて愛をくれる人──他にいないよ。


愛をくれるんだから、お返したい。


この人に喜んでもらいたい。


いよいよ心が決まったそのときだった。


ピンポーン──と、インターホンのチャイムが鳴った。











ひかるside──


インターホンの音で、ふたりの動きがピタッと止まる。


ふたりとも荒い息遣いのまま。やや訝しげに玄関の方へ視線を飛ばし、しばらく様子を伺う、そんな時間が訪れた。


たぶん、このときの私は正常じゃなかった。


私を求めてくれる理佐さんが可愛くて。


理佐さんが求めてくれることが嬉しくて。


22時──こんな時間、こんなタイミングの訪問者が誰なのかなんて少し考えれば分かるのに、私は気にもとめずに理佐さんに続きを促した。怪しい勧誘とか、そうじゃなきゃ宅配か何かだと決めつけて、頭の片隅に追いやった。


「ん……もっと」


理佐さんも、私の言葉にハッとした様子だ。


その綺麗な喉元がゴクリと鳴る。私に興奮してくれているのかな。私、由依さんみたいにスタイルよくないけど、そんな私でも理佐さんは夢中になってくれるのかな。


そんな私の不安を吸いとるように、また唇が重なる。


いよいよずっと憧れだった人とひとつになれる……


そう浮き足立ったのも束の間、またしても──


ピンポーン、ピンポーン、ドンドンドン、ピンポーン。


まるで私の未来を遮るように、インターホンと、今度は乱暴にドアを叩く音が部屋の中を震わせた。


もう……鬱陶しいなあ。


なんて、イラッとしたけど、流石の私も冷静になった。


"もしかしてだけど……由依さん?"


冷静になってしまえば、すぐに頭が回り始める。


え、うそ。どうしよう、これって由依さんから見たら浮気現場当然だよね。もしかしたら理佐さんが酷い目に遭うかもしれないし、最悪、私だってただじゃ済まない。


あたふたと慌てる。そんな私に反して、理佐さんは酷く落ち着いて見えた。私の頭を撫でながら小さく呟く。


「由依、かもね」


その表情は髪で陰っているからよく見えない。


この人は今どんな気持ちなんだろう?


そんなことを考えていると、その顔がハッとする。


「あ……鍵」


カギ?


どうにかその発言の意味を知ろうと伺っていると、理佐さんはおもむろに立ち上がって、私の手を引っ張った。


「えっ、ちょ、ちょっと……」


どうしたんですか、と訊く前に、彼女はクローゼットを開けてその中に私を推しこもうとした。理佐さんの意図を汲んだ私はそれを「イヤイヤ」と拒否する。


「鍵閉めるの忘れてた。もしかしたら入ってくるから」


「ゃっ……嫌です!なんで隠れなきゃいけないんですか」


私が懸念した「ただじゃ済まない」を危惧しての行動だってことは分かっている。それでも、いざこうして蚊帳の外にされるとなると、それは絶対に嫌だった。


今からここでどんなことが起こるかは知らない。


由依さんがどんな顔で現れるのかも想像できない。


でも、美波さんを放っておいてここに来たっていうことは理佐さんを手離したくないからなんだろう、とは思う。


それなら。


そうだとしたら、私がハッキリ言ってしまいたい。

 「理佐さんは私が幸せにします」って、はっきり。


理佐さんはゆっくり頷く。


ありがとう、と微笑む。


そして、強い顔で続ける。


「私ひとりでけじめをつけたい。だから、見守ってて」


普段は恥ずかしがり屋で、キザな台詞なんかは言いたがらない理佐さんが、こんな格好良いことを言う。


そのギャップにクラってなっちゃって。


有無を言わさず、私は暗闇の中に閉じ込められた。






薄々予想していた通り、私がクローゼットに閉じ込められて数分してから由依さんが寝室に入ってきた。「靴、隠しとかないとダメだね」と玄関に急いだ理佐さんは無事に私の靴を回収できたようだった。


私は、クローゼットの扉の隙間から、その様子を覗く。


「はぁ、どうして無視するの? それに、電話だって……」


開口一番、由依さんが理佐さんに向けた言葉は、まるでレストランでの会話がなかったかのような、呑気な響きだった。


黒のインナーにチェック柄のシャツ、ショートパンツといういかにも薄着に1枚羽織って、という格好で現れた由依さんは走ってきたせいか少し顔が紅い。


心配したんだよ?と、ゆっくりと1歩近づく由依さん。


ベットに腰掛ける理佐さんは、くぐもった声で返す。


「まあ、ちょっとね。スマホ、充電切れてたみたい」


沈黙。


そんなの嘘っぱちだって、ここにいる3人みんなが分かる。理佐さん演技下手だなあ、と頭を抱えたくなるけど、よくよく考えると、演技をする必要なんてないんだ。


彼女は「けじめをつける」と言った。


それはつまり、由依さんと「別れる」ってこと。


だから、上手に誤魔化さなくてもいい。ただ、優しい人代表の理佐さんが、あんなに大好きだった由依さんに別れを告げることができるのか。それだけが心配だった。


私にできることは見守ること、信じること。


私をここに閉じこめてまで、ひとりで闘うって決めた理佐さんの覚悟を、ただただ無防備に信じるしかない。


長い沈黙を破ったのは、理佐さんだった。


「あの、さ」と吃音混じりに由依さんを見据える。


「さっき電話したときの私の言葉、覚えてる?」


「……私のこと好きじゃなくなった?って」


「うん、そのとき由依は何て答えたっけ」


「っっ……えっと」


「覚えてない?」


口を噤む由依さん。淡々と追及する理佐さん。


対照的なふたり。またしても沈黙が流れ、その息遣いだけか寝室を侵食していく。私の心臓もうるさい。血管がキュッて締めつけられて指先が冷たくて。緊張してるんだってはっきり自覚できる。手汗がじんわりと滲むから、音を立てないようにスカートの裾を握りしめる。


「覚えてないんだったら、教えてあげる」


氷の刃で突き刺すように、理佐さんが言い放つ。


「そんなことで電話かけてこないで、って言ったの」


由依さんは何も言い返さず、じっ……としていた。


それを見て、理佐さんは噛みつくかのように続けた。


「そんなこと……って。そんな言い方ある? 私たちって付き合ってるんだよね? 恋人の愛情確認に対して、あんなこと言われたら悲しいとか思わなかった?」


徐々に徐々に、苛立ちが大きくなる声。その語尾は微かに震えている。理佐さんの我慢を物語っている。


そんな非難を受けて、由依さんは顔を背けた。


居心地悪そうに頭を掻き、拗ねたように言う。


「……違う、あのときはちょっと忙しくて」


「美波との時間が楽しくて、忙しかったってこと?」


ついに理佐さんが踏み込んだ。と同時に、由依さんの息を詰まらせる音だけが聞こえた。ここからじゃよく見えないけどきっとその顔は歪んでいると思う。


──私は驚いていた。


理佐さんがここまで攻撃的になったことが意外だった。


でもそれは、気を抜いたらやっぱり情に流されちゃう自分の首を絞めているようにも見える。必死に閉じこめて、人生で一回も使ったことないような怒りの感情を奥底から引っ張り出してきて使ってるような、そんな感じがする。


私は、声を出さないように耐えていた。


気を張っていないと、うっかり漏れちゃいそうだから。


「理佐さん、頑張れ」って、心の声が──


だから両手で口を塞ぎ、その行く末を見守る。


ふと──由依さんが低い声で「そっか」と呟いた。


そのトーンの変化に、なんとなく嫌な予感がする。


由依さんは、はーーっと大きく息を吐き出し、そしてまた大きく吸う。ただ1度だけ前髪をかきあげ、頷いた。


そのあとに続く言葉を聞いて、私は困惑した。


「最近あんまり構ってあげられなかったか拗ねてる?」


平然と、今までの問答を全て無視したかのような発言。


私は耳を疑う。理佐さんも、明らかに狼狽えていた。


暖簾に腕押しとはこのことか。


理佐さんの懸命な訴えも意味がなかった。


由依さんは上着を脱ぎながら艶めかしく笑う。


黒いタンクトップが憎いくらい似合っている。


「分かった、ご無沙汰だったもんね。今から可愛がってあげるからそれで許してよ。それでいいでしょ?」


は? え? これ、本当に由依さんが言ってる?


嘘だ嘘だ。こんなの絶対、何かの間違いだよ。


だって、浮気をしたって言っても、それでもあの優しい由依さんがこんな最低なこと言うわけないよ。


「な、何言ってるの……」


「ん? 別にあの日じゃないでしょ?」


「いや、そういう問題じゃなく……きゃっ」


ドサッ、と理佐さんがベッドに押し倒される。


「そんなの関係なしにシたこともあったよね」


そこに馬乗りになり、見下ろす由依さん。


「やめてっ、離して!」


「もう、暴れないでよ」


ああもう、よく見えない。こんな細い隙間からじゃ、その様子の一部分しか分かんなくて、焦りに身を焦がす。


これって、もう止めた方がいいやつ……だよね。


そう迷っている間にも、布が擦れる音と、由依さんの吐息と微かなリップ音が、私の鼓膜を刺激していた。


「無理やりされるの好きでしょ? ほら、こんなふうに」


由依さんが何をしたかは見えなかったけど、理佐さんの呻き声は聞こえた。理佐さんはジタバタともがく。どこをどう見ても喜んでいるようには見えない。なのに──


「もしかして理佐さあ、寂しくて1人でシてた?」


由依さんは、平然とそんなことを言ってのける。


一瞬、理佐さんの顔が見えた。


その顔は真っ赤に染まり、口をわななかせている。


「お、図星だった。あはは、可愛い」


──いい加減、我慢の限界だ。


もう、理佐さんの決意とかそういう話をしている場合じゃないよ。今助けないで、いつ助けるんだ、いつ守るんだ。


そう決心し、クローゼットのドアを押し開こうとした。


そのとき。


「っっ……やめてって言ってるでしょ!!」


理佐さんの、つんざくような怒鳴り声。


と、間髪入れずに、バチン!と乾いた音。


理佐さんが、由依さんをビンタした音だ。


由依さんは頬に手をあてて、目をまん丸にしている。


「え……」と驚きの声を漏らし、動揺している。


理佐さんは、ところどころ乱れた服を整えながら立つ。


「ずっと好きだった、愛してた、でも、でも……っっ」


その綺麗な横顔に、ツーっと一筋の涙が伝う。


「もう……限界」


「限界って……なに、ちょっと待って、どういう」


「由依とはもう別れるって言ってんの!」


ついに、理佐さんは言った。


苦しかったんだろう、悲しかったんだろう。今まで何度もこの言葉を呑み込んで、ひとりで耐えてきたんだから。


由依さんは、魂が抜けたように固まっている。


「もう出てって、二度とこの家にも来ないで」


にべもなく言い放ち、理佐さんは由依さんの腕を掴む。


そのまま「出てって」と繰り返しながら由依さんを引っ張り寝室から連れ出してしまった。ひとり取り残された私は、ゆっくりとクローゼットのドアを開け、外に出る。


どうしていいのか分からず、ただ理佐さんが戻ってくるのを待っていると、数分経って、とぼとぼと足音がした。


「……由依、追い出してきた」


そう言いながら寝室に入ってきた理佐さんの顔は、それはもう酷いものだった。涙でぐしゃぐしゃに濡れて、髪はボサボサに乱れてて。何より、悲壮感が見てらんない。


どう、したらいいんだろう。


慰める? 褒める? 一緒に泣いてあげる?


それとも、さっきの続きでも……


いや、私はバカか。


私が言うべき言葉なんて、ひとつしかない。


これを言う資格が、今の私にはあるんだから。


私は、理佐さんをギュッと抱きしめる。


「ずっとそばにいます。絶対に……幸せにします」











お読みいただきありがとうございました。   かなで