「悪いのはわたし 7話」の続きです。










保乃side──

「理佐さんと付き合うことになった」
仕事の休憩時間、空き部屋に呼び出したひいちゃんの口から驚きの報告が飛び出した。もしかしたらそういう未来が来るかもしれないなんて、ひとつも予想していなかった。

口をパクパクさせる私に対して、彼女は頭を下げる。

「どうしても保乃にだけは報告しときたかった」

「えっと、んーっと、お、おめでとう」

意図せず口ごもってしまった私を見て、ひいちゃんは手近にあった丸椅子にストンと腰を降ろした。

「……やっぱりそういう反応になるよね。うん、先輩の彼女奪うとかありえんし。でも、止まれんかった」

ひどく冷静で、冷たい声。黒曜石みたいに艶のある瞳を伏せる彼女を見て、私は慌てる。違う、そんなことない。間違っても保乃はそんなこと思ってへん。

「ちゃうよ、言うたやん、保乃は味方やって」

だからそんな顔せんといて?と私は訴える。

彼女はゆっくりと顔を上げて、私の目を見据えた。

いつも思う、ほんと、吸い込まれそうな瞳だ。

「ほんとに?」

「ほんま。まあ驚いたのは事実やけど……けどひいちゃんは悪くないやん。好きな人にアタックして、その人がひいちゃんを選んでくれたってだけのことやん」

「っっ……うん」

「あーもう、なんで泣くん」

「だって……だってぇ」

じんわりと涙を浮かべるひいちゃん。その涙は、やっぱり後ろめたさがあるからなのだろうか。自分は間違っていないという強い想いの反面、客観的に見れば先輩の恋人を奪ったという事実が彼女を責めているのかもしれない。

それなら──保乃が裏切るわけにはいかん。

私は、サラッとした頭を優しく撫でてあげる。

「ひいちゃんが悩むことなんてあらへん。これからはめっちゃ幸せになるんやから、泣いとったらあかんよ」

私の言葉に、ひいちゃんは、きゅっとレッスン着の裾を握りしめていた。アイドルとしては鬼才とも言えるべき彼女だけどこういうところは普通の女の子なんだ。

ぼんやりと思い浮かんだ感想は胸に閉まって。

私は、パンッ、と手を叩いてみせた。「よしっ」とこの湿っぽいムードを終わらせるように。ついでに今後のことも考えておかなければと思い、それとなく提案する。

「ま、他のメンバーには黙っといた方がええかな」

これにはひいちゃんも同意だったらしい。

小さく首肯して、彼女は、やっと私と目を合わせる。

「ん、そうやね、その方がいいと思う」

やっとその目に元気が戻ってきた。と安心しながら微笑もうとしたとき、ふと、ひいちゃんの首元に目がいく。

今日はいつもと違って、Tシャツの下にタートルネックのアンダーウェアを着ていたひいちゃん。珍しいなーとは思っていたけど、そこまで気に留めていなかった。

「……って、え、ひいちゃん、その首」

その理由が、今ようやく分かった。

私は、ひいちゃんの首を指差す。

彼女は、少し気まずそうに眉をひそめた。

「ん?あ……やっぱり見えると?」

「うん、正面からなら見えんけど、上からなら」

上から見下ろせば、タートルネックの隙間から見える。

痛々しいくらいハッキリ、綺麗な噛み跡が目に入る。

これはつまり……理佐さんのってことやんな?

「ああぁ……これね、うん、理佐さんが、ね?」

「ええっ、ほんま?理佐さん……結構えぐいなぁ」

「やばかったよ。冗談抜きで死ぬかと思ったもん」

「えっ、え、つまりその……ヤったん?」

私の直球な問いかけに、にんまりと顔を赤らめるひいちゃんの顔が可愛くて──私は思わず叫びそうになった。










由依side──

どうしても仕事に行く気にならない、そんな日もある。

あの夜、理佐に別れを告げられた私は、彼女のマンションの前でしばらくの間立ち尽くしていた。ここでこのまま帰ってしまうと、もう二度と会えなくなる気がしたから。

ヒリヒリと痛む左頬に手を添えて、感情を整理する。

私は理佐に嫌われた。

絶対に離れないと思っていた人に、捨てられた。

悪いのは誰が見ても私、なのに、受け入れられない。

だって、理佐は私のすべてだったんだから。

あの優しい笑顔も、ハスキーな声も、いつでも私を想ってくれる心も。全部が好きだ。全部、私のものだ。そう思って過ごしてきた数年間を台無しにしたのは、私だ。

理佐に浮気を指摘されたとき、素直に認めれなかった。

それは、バレたくないって誤魔化したかったから。だけどもうひとつだけ。私自身が、浮気をしていないって思い込みたかったんだと思う。そうしないと、罪の意識に耐えられないと本能的に悟っていたんだと思う。

結局、認めようが認めまいが、犯した罪は償わないといけないわけだから。今こうして振られてるんだけど。

私はこれからどうしたらいいんだろう。

今日これから。人生これから。光を見失った私は、何を頼りに生きていけばいいのか。それが、分からない。

途方に暮れてると、ポケットの中でスマホが震えた。

「……もしもし」

「あっ、由依ちゃん?急に出ていくから心配したんやで。今どこにおるん?教えてくれたら迎えに行──」

プツン──と、私は、自分勝手に通話を終了する。

正直……今ここでみぃちゃんのところに戻れば、少しは楽になったんだろう。乱暴に抱かれて、頭空っぽにして、なによりも誰かに愛されて──欲は満たされていた。

だけど、これ以上、私のことを嫌いたくない。

みぃちゃんとの関係も、もうやめよう。

そう決めて、その日はとりあえず家に帰ったんだ。





その次の日はオフ。ひっきりなしにLINEを送っても既読すらつかない。ブロックされたんだ、と客観的に見れば分かるのに私は認めたくなかった。

まだよりを戻すチャンスがあるって信じたかった。

「理佐……お願いだから見てよ」

そんな祈った1日だったけど、返事が返ってくるわけない。

無残にも目を腫らした私は、その落ち込んだ気持ちのままオフを終えることになった。そうして今、酷いくまを必死にメイクで隠して、事務所についたところだった。

結局、まだみぃちゃんとも話せていない。

ちゃんと話さないといけないな、とぼんやり考える。

レッスン着に着替えるため更衣室に向かうと、そこにはまだ誰もいなくて、少し安堵する。今は誰とも会いたくない。とわがままを言っても、みんなの共有スペースなわけだから。

その数分後にみぃちゃんが更衣室に入ってきた。

「……おはよう、由依ちゃん」

私の隣のロッカーを開けながら挨拶をする彼女は、やっぱり元気がない。原因は私だ。そりゃあ、電話もメッセージも無視されたら誰でも気分はよくない。

じっ、と視線を感じるから、私は無意識に俯く。

彼女の顔を正面から見れない、弱い自分がいた。

「うん……おはよう」

「な、なあ、どうしたん急に。昨日も連絡──」

「ごめん、もう、やめる」

「……え?」

「みぃちゃんとああいうことするの、やめる」

「なんで……急に」

「自分勝手でごめん。でも、もう決めたから」

そこまで勢いのまま言い切って、私は、小さく息を吐く。

これが私なりのけじめ。こうしたからって、理佐が戻ってくるわけじゃないかもしれない。それでも、ただの自己満足だと言われても、かといって、このままみぃちゃんとの関係を続けるのは何か違う。

みぃちゃんは、意外にも、すんなりと頷いた。

何かを察してくれたのかもしれない。

パタン、とロッカーを閉めて、彼女は訊く。

「そっ……か。ちなみに理由は……」

ふるふる、と首を振ると、彼女はまた小さく「そっか」と悲しく呟いた。みぞおちを罪悪感が締めつけて、私はギュッと目を瞑った。でも、向き合わないといけない。

ちらり、と横に視線を向けて、私はまた目を逸らした。

なんで……そんなに悲しい顔するのよ。

私たち、別に恋人でもなんでもなかった。

ただの体の関係。なのに、なんで泣くの。

苦しくて、苦しくて。もう、彼女の方を見れない。

気を紛らわせるために視線を周囲に飛ばすと、知らない間に他のメンバーもぞろぞろと着替えはじめていた。元気のいい2期生の声が、徐々に更衣室を喧騒にしていく。

ぽつりと立ち尽くす私たちもその喧騒に隠れて、一緒にこの罪悪感も掻き消してくれたらいいな、なんて願う。

視線を周囲に飛ばす。その過程で、ふと、目についた。

そそくさとロッカーの影に隠れて着替えるシルエット。

小柄で可愛らしいシルエットは見間違えることはない。

──どうして、あんなにコソコソ着替えてるんだろう?

なんとなく眺めた直後、頭がぐわんと揺れる。

信じたくないものが目に入ったから。"それ"はすぐに隠れたけど私の両目が捉えた"それ"は見間違いじゃない。確実に私の脳内に保管されてしまった。

2日前、理佐との電話。そのときに現れた彼女の声。

素直な彼女らしからぬ怒りに満ちたあの声。

目の前に簡単すぎるパズルが用意されて、私はそれをいとも容易く完成させてしまう。辻褄が、合ってしまった。

私の脳内を占めるのは、先程目に入った"それ"。

ひかるの真っ白な首筋、に見えた、綺麗な噛み跡。

私は、茫然自失とそこに立ち尽くすしかなかった。










お読みいただきありがとうございます。

今回のお話はちょっと急ぎ足で書いちゃったのでところどころおかしいかもしんないです。ごめんなさい。

それではまた かなで