今日は、2024年4月29日です。
ゴールデンウイーク前半が今日で終わります。
後半は4連休です。
もし、平日3日休めば、10連休です。
それで「沢山休める!!」と喜ぶ方は、本当に働きものだと思います。
日本人はそもそも働きすぎだと、いつも感じています。
私の職場の観光地には毎日沢山の外国人が訪れていますが、1か月休んで、日本の各地を旅行しているという夫婦や家族が沢山いらっしゃいます。
なんて羨ましいのでしょうか...。
私たち日本人は、びっしりと働いているのに収入も良いとは言えないので、体調が悪くても、休もうとしない人が多くいるように感じます。
私の子どもも、残業がひどい時には、翌日の朝の4時まで仕事をしていた日がありました。
午前4時過ぎに帰って、また9時に出勤では、寝られないだろう!!と、あんまりだ!!と私もこの会社大丈夫?と思うことがあったりもしました。
私もお金のために、体調が悪くても仕事を優先して肺炎で入院する事が何回もあったので、ついに気づきました。
自分の命より大切なものがあるのだろうか...?
自分よりお金を上においていたのです。
自分を愛することが幸せになる方法だとわかっているのに、自分をお金より大切にしていなかったので、豊かにもならなかったのか...と思いました。
しかし、長い間そんな働き方をしてきたために、急に仕事を減らすということが、怖くてできなかったのです...。
日本のお給料がそもそも安すぎる...。
結婚してアメリカにずっと暮らしている友人は、お給料の事は何も言わなかったので、日本に帰った時にちょっと聞いてみたら、初任給で50万ほどあるらしい!!
友人の旦那さんも「大体それぐらいかな...」と、何年もアメリカ暮らしをして、友人も働いていたらかなり裕福でゆとりのある暮らしができると思いました。
「でも物価も高いから...」と話していたけれど、日本はまだまだお給料は低いまま、物価だけ上がっていくんですが...。
だから、一緒に派遣で働く人の中に、普通に9時から5時まで働き、その後からもう一つの仕事にも行っていると話していました。
そうしないと、せっかく建てた家が無くなってしまうと...。
私の両親も、借金のために働きすぎて病気になり、早くに次々と亡くなってしまいました。
命が無くなれば、何もできなくなるのです。
日本の国は日本人を大切にして、お金に困らない、安心して暮らせるようにしてくれたらいいのに...。
しかし日本の国が中々変わらないため、自分が変わっていくしかないのです。
たとえば自分たちが大富豪にでもなれば、社会貢献ができ、日本を変えていくこともできるかもしれません。(笑)
2023年元旦にコロナにかかり、後遺症がひどくて、派遣の仕事に行けなくなり、3月までの契約でしたが、1月の20日頃で辞めてしまったのです。
急に仕事を辞めざるをえなくなり、収入が無くなるから、雇用保険を申請することにして、何とか1か月過ぎ頃に雇用保険でお給料より少ないですが、生活費が確保できました。
倦怠感などの後遺症に悩まされましたが、毎日仕事に行かなくていい、3ケ月程仕事を休めるって、かなり身体的にも精神的にも楽だなあとしみじみ思いました。
(こんな生活がずっと続けられたらなあ...)
働かなくても食べていけるのは、身体の弱い私にとって理想だなと思っていましたが、3ケ月の受給期間がもう少しで終わると思うと、私の心が、早く仕事を探さないといけないと、慌て始めたのです。
そして、いつものように就活を始めたのですが、中々面接に受からないで、最後には時給の良い、きつくて嫌で辞めたテレアポの会社にパートで入り、やはり自分に合わなくて、すぐに辞めて、また派遣の仕事を引き受けることにしたのです...。
そして、毎日の仕事に疲れて、また9月に肺炎で入院して、収入が減るということを、繰り返したのです。
もうこんな生活変えなければいけない、そう感じました。
もうおばちゃんになった私は、一体何をすればいいのだろうか?
お金の事を優先するのではなくて、やりたい仕事であれば、ずっと長く楽しく続けることができるかもしれない...。
私は幼い時から、絵を描くことが好きで、一人でいつも絵を描いて遊んでいました。
小学校の時の夢は、なんと服飾のデザイナーになることでした。
コンプレックスが多かったけれど、小学1年生の頃から頻繁に、自分の絵や作品が教室に飾られたり、賞を取ったりして、絵を描くことだけは自信があったのです。
高校生になり、進路を決める時も、やはりデザイナーに憧れて、美術大学に行きたいと思ったのです。
しかし、特に母親は私に興味がないのか、通知表を見ても何も言わないし、絵がテレビに出たり、学校で金賞を取ったりしても、全く褒めてくることもなく、進路についても全く聞いて来なかったので、自分から「美大を受験したい」と言ったのです。すると、
「あんたに絵の才能なんかあるんか?」と冷たく言われてしまいました...。
それを聞いた私は、
(私には絵の才能しかないと思ってるのに...今まで何も見てくれなかったんだ...)と本当に腹が立ちました。
しかし、私はしつこく受験したいと言うと、
「地元の国公立なら受けてもいい、私立は絶対ダメ」と言われてしまったのです。
難関と言われている地元の美大に絶対受かりたかった私は、父にお願いして美大専用の塾にも行かせてもらい、頑張りましたが、結果はダメでした...。
合格発表に行った時、私の受験番号がなくて、あまりにショックで歩くことさえもできないほどでした。
塾に一緒に通っていた人達は、ほとんどの人が受かり、
(皆と同じ世界に行くことが出来なかった...)と、その後から私は長い間、部屋に引きこもってしまったのです。
そして、年月が経ち、私は結婚して、家事、子育てに追われる毎日になり、雑誌に出て有名になっていく塾の仲間に、私は羨ましさを感じていましたが、あんなに自信があったのに、もう絵が描けなくなってしまっていたのです...。
長々と書いてきましたが、今の自分の夢は一体何だろうか?と、考えてみたのです。
自分の夢を復活させたいと言う気持ちがあるけれど、まだ見つからない探している途中なのです。
その夢を、仕事にも結び付けたいと思ったのです。