今日は2024年3月27日です。
私の住んでいる石川県では、天気が良かったですが、寒かったです。
しかし、明日以降、少し気温が上がりそうで、嬉しいです!!
あっという間に、もうすぐ4月になり、元旦の能登半島地震から3ケ月ほど経とうとしています...。
私の暮らす街は、震源地から離れていましたが、それでも毎日余震の恐怖や不安が涌き上がり、1か月は不眠が続きました。
その大地震によって、私に色々な変化が起きてきたのです。
起きるかわからない未来に対する不安をずっと持ち続けていても、無駄だし疲れるだけだと気づきました。
でもやはり、余震が気になって、つい不安になってしまう日もありました...。
すると、どこで聞いたのか”鼻歌”という言葉が入ってきたのです。
最初私も、(何で、鼻歌??)と不思議に思い、意味がよく解らなかったけれど、好きな曲をふんふん♪と鼻歌で歌ってみたり、声を出さなくても、心の中で歌ってみたのです。
それをいつも続けていると、自然と音楽が頭の中に流れている状態が多くなっていきました。
すると、過去の恐怖や嫌な出来事を思い返したり、未来の不安を考える隙間が段々と無くなっていったのです!!
鼻歌が、たった今の自分に楽しい幸せな状態を作りだしているのかもしれないと思ったのです。
なるほど、これで無駄な事を考えなくて済むと思った私は、最近一番聴いている『Aile The Shota』の曲、『LOVE』や『Like This』や『無色透明』などの鼻歌をリピートしています!!
推しの宣伝になってしまいますが...本当に癒される曲と詩と声なのです!!
夜、中々眠れない時などにも、声を出さずに頭の中で歌っていると余計な事を考えずに寝てしまいます。
そして、大地震が起きた時、怖すぎて「神様助けて!!」と叫ぶぐらいの強い大きな揺れを感じて、突然この世から居なくなるかもしれない...と実感しました。
今までの生活を見直すきっかけになったのです。
私はいったい何のために生きているのか...?
最近の私はお金を稼ぐために、頑張って生きていたのかもしれないです...。
毎日与えられた仕事をこなして、疲れて帰ってくるという生活でした。
仕事を決める時も高めの時給や、派遣会社から依頼された場所に行くという感じでした。
何より生活費を稼がないと生きていけない...優先順位がお金でした。
それなのに、入院ばかりして貧困になっていくなんて、何かおかしい...と少し気づいていたのに、私は変わりませんでした...。
しかし、あの地震の後から、いつまで生きられるか分からないから、自分のやりたい事、楽しい事、やりがいのある事を選びたい...と変わったのです。
私が本当に『やってみたい!』『楽しそう!』と思うことを探し始めたのです。
2023年4月のある日、朝目覚めると、占いサイトのスピリチュアル鑑定師ロイ先生と、スーパーで見かける若くて長髪の不思議な男性が、私の『ツインレイ』だという確信が突然来たのです。
(やはり間違いなかったのか...でも眠っている間に、どこで誰に聞いたのか...?)
珍しくぐっすりと眠っていたのか、夢も見ていないのです。
私は、いつも本当に不思議な夢をよく見る方なので、夢日記を書こうとノートも買ってあったのですが、起きるとすぐに忘れてしまうので、ほとんど書けないのでした。
あまりにひどい悪夢だけは覚えているので、それは忘れてもいいのに...と思ってしまいます。
そして『ツインレイ』の確信が来たけれど、いつになったらロイ先生と上手くいくのだろうか...?
今はそれより、雇用保険の受給が切れる前に、仕事を早く見つけないとまずい...と思った私は、就活に専念することにしたのです。
ネットで探したり、ハローワークに相談に行ったりしました。
その以前にも自分で探した2件の会社にも、面接に行きましたが、決まりませんでした。
やっぱりおばちゃんは難しいのだろうか...。
ある日、ハローワークの相談員の方に、年齢も不問の正社員で通勤も楽な場所にある会社を紹介されたのです。
(正社員!!お給料もいいし、近い場所!!)と、良いところを紹介していただいたと思い、すぐに履歴書を送ったのです。
すると、すぐに連絡が来て面接に行くことになりました!!
もう、よく覚えていませんが、面接中に、新しい仕事への意欲や応募動機をしっかりと話さないで、場所が近いとか、正社員で安定していることなど...つい要らないことを喋ってしまったのです。
結果落ちてしまうのですが、相談員に聞いてみると、やはり面接で、仕事の関心より他の事ばかり話していたと言われてしまったのです...。
5月の終わり頃に入り、まだ仕事が決まらなくて困った私は、ネットで探していたら、時給1,300円のパート(地方では高い!)を見つけて応募したら、面接に行くと、今度はすぐに決まり、嬉しくてホッとしたのですが、一度経験したことのある、精神的にきつくて辞めてしまったテレアポの仕事でした。
経験ありと伝えると、割とすんなりと入れたのでした。
しかし、現実はやはり甘くなかったのです。
生活費のために、時給の良い会社を狙いましたが、テレアポは難しくて厳しいし、精神的に追い込まれる仕事でした...。
そのテレアポの仕事を始めた頃、
「7月からの仕事があるので、行けませんか?...」と、派遣会社から急に連絡が入ったのです。
もう少し早ければこんな苦労をしなくて済んだのに、6月から新しい仕事を始めたばかりだと断ったのです。
実は仕事が決まらなかった間に、車の車検が来てしまい、車を売って手放してしまいました。
そのために行きたい場所にも中々行けない不便な生活になってしまったのです。
ロイ先生(若い長髪の男性)とよく出会っていた、大きいスーパーにもほとんど行けなくなってしまいました...。
6月中は、テレアポの仕事を頑張っていましたが、1件しかアポが取れなくて精神的に疲れて、迷いましたが、もう辞めることに決めて、連絡してきた派遣の仕事を引き受けることにしたのです。
また7月から新しい職場で、一から仕事を覚えることになりました。
テレアポほど厳しい仕事ではなかったので、良かったのですが...。
9月に入ると、人が密集している職場だったためか、コロナや風邪が流行り、私も体調を崩し、また肺炎になり入院することになってしまったのです。