声のブログ、やってみようかと思ったけど…
なんかやっぱり違うなと断念。

普通に声認証でいいや。ここ最近は疲れてます。
子育てがしんどい。

子供はとても愛しているんだけど、お世話がしんどい。
すべてから現実逃避したくてたまりません。
自業自得なんだけど、急いで部屋を片付けなくてはいけなくて、でも子育てしながらそんなにすぐに片付けられるほどの量じゃなくて。
昨日徹夜したけど、(子供が寝た後じゃないととても無理)全然片付かなくて。これからやらなきゃいけないこと、お正月のこと。それ以降の事…想像するだけでも辛い。自分自身、怠け者の極みのような性格だしね。だからツケが回ってきたんだと仕方なく思うべきなんです。

辛いのに進まなきゃいけないのが辛い。
悲しみの時に、永遠に戻らない「あるべき光景」に胸が締め付けられる。
ただでさえそれで辛くても、ただ悲しみにゆるやかに時間を使うことができずに何かしらやらなきゃいけないことがたくさんあってしんどい。

悲しんでるの私だけじゃないと言う事は分かっているけど、悲しみだけに時間をどうしてつかっていけないの?どうしてこんなことになったんだろう。
今まで乗り越えてきた事は、いかにもろくてチープで、勘違い甚だしくて滑稽だっただろうか。

小さなつまずきがあったとしても最後まですべてがうまくいくドラマ(人生)と信じていたかったのに。不幸は突然やってくる。
私は脇役でよかった。だけど、脇役ではなく雑魚キャラだ。
必要な時、大事な場面で正しく言葉をあげられなかった。救えなかった。選択を誤った。
今後もそんな雑魚いキャラで自分はいるんだろうな。
僕の人生は雑魚一択なのだろうな…
ああ、自分が大嫌いだ。

>>運が悪すぎて、悲しくなる時も

「それは、大きな不運を避けるために不運が小分けされてるからだよ」と諭される。

そして、家族祖母が元気である幸せ、最後に愛犬とお別れがちゃんとできた奇跡、友達や妹が素敵な人と結婚してくれた喜び…スライドショーのように頭の中によぎる。

 

まわりが幸せな中に私がいてる。

大きな不幸がやってきてない…それはとてもありがたいこと。

 

小さな不運が重なると、近くにある幸せを思い出す。

だから、運の悪さも…しかたないと受け入れられる気持ちになる。<<


三年前の七月ごろにかいたもの。

僕の中の基盤は崩れたかな。

幸せを口にすると不幸を感じるのは定められたものなのか。
そう感じずにはいられない。

先々月、大事な人がいなくなってしまいました。
自分という人間の無意味さを痛感しました。
生きてるって、なんでだろう?

よく世の中では、大事なものを無くして初めてそれが大事であるかを知るというよね。
この別れから今日まで、ずっと思い知らされてます。
こんだけ反省しようが、もう二度とあの日常は手に入らないんですよね。現実の残酷さに目を背け、もう訪れるはずのない日常を思い描いては心を抉られる毎日です。
とはいえ、ずっとそんな状態でいられるほど現在進行形の日常ノルマは待ってはくれないし心も耐えれないだろうから普段は平常です。
心の空洞に気づくたびに「なんでこうなった」と問いますが。

日常は残酷です。
ひとり消えたところで、世界にはたいして影響なく、変わらず日がながれ、いつもと変わらない。
その人がいなくても、立ち止まってくれはしない。

フルーツバスケットという漫画に、主人公の母親回想で旦那を亡くした時の心境を語ったシーンがあるのですが、ほんとうにそう感じるんだと思いました。

日常の空洞が辛い。いっそ、ギブアップしてしまいたい。そういうわけにはいかないし、幸いにも自分には傷のない新しい家庭と未来がある。ただ、振り返った先に空洞があるだけ。

いずれ誰もが経験することが少しばかり早かっただけ。心の準備ができていなかったとか、この何がおこるかわからない世の中でできる言い訳じゃない。
わかっていても、やっぱり「なんで、どうして?」が尽きない。
まだ、返せていない恩もたくさんある。
これからやりたかったことも、今後起こり得ることに対して助けて欲しかったことも、一緒に幸せを共有したかったことも。

この先の未来に一生消えない影を感じながら生きていく。楽しかった過去は悲しみのフレームで彩られ、これから抱えていく。

僕は幸せ貯金を使い果たしてしまったから、大きな不幸を呼んだのかしら?
幸せに甘えた生活を送っていたから罰が降ったのかしら?

自分には幸せを続けることができず、幸せの後は必ず不幸がくる体質なの?
ならば、この先生きていく意味って…
物語のページの先を捲るのは不安ばかり。