皆さんこんにちは!
天気が悪くても「湿度があって良いのかも」とか「家庭菜園の雑草とりに行かなくて良いので体休まる」とか前向きに考えてます。
さて2008年に買ったマンションを2018年に売ったときの話し
2008年に買ったマンションを私は手放す予定が無く、パパは長男だからジジババの介護になったらいずれは実家戻りたいとおもっていました。
ポニョ出産の後、義母とぷち仲直りをしていたのですが、私の実母の通い介護、未成年の甥っ子を残しての実妹の死、会社での昇給(役職とやりがいのある仕事)などパパ実家に戻っての【嫁仕事】をするどころではありませんでした。もちろん再同居がイヤだったのも事実です。
・・・・ポニョが生まれて数年間のうちに義父、実母、義母の順に続けてのそれぞれの闘病生活の後になくなりました。
2016年にパパの肝臓がんが発覚ステージⅣ。原発の癌が大きくいくつもあり、リンパにも転移。手術での除去や国内での肝臓移植も難しい。放射線治療も効きが良くない。そんな中でダメ元の高額がん治療費を得るべくパパ実家を売って治療費に充てるということも検討していました。(パパの家系は癌家系では無いのでガン保険に未加入)
お互いの両親もなくなり、長男教、○○家からの開放(パパ実家を売るという事)→癌完治は難しくても2人で買ったマンションで家族3人穏やかに暮らそう。生存年数を伸ばすためパパ実家を売ったお金で保険の聞かない高額医療をしようということも
パパの闘病記は省きますが、がん発覚から9カ月で亡くなりました。2017年の年明けです。
いま覚えば、2016年の秋ごろから『俺がいなくなった場合の今後について私への言葉の遺言がたくさんありました。』
「後○年は義母から受け継いだ負の財産があるとか死亡保険はいくら入るけど、相続税と相続申告などで○○円かかるから、1万円の無駄遣いをしないで。俺が死んだら2年以内にマンションを売るか貸し出しして。義理実家に住んでバアちゃんの借金をママ(私のこと)の器量で返してほしい。2年間は今の会社に普通に働いても良いけど、2年経ったら会社をやめて義理実家の事業を引き継いで。などの進言でした。
2年ってなんだろう?とおもいながら、その話しをした時は、生きる希望もあったので高額医療費捻出の為に私が生活費を稼いでパパは治療に専念するということになりました。
続く