自分を素直に表現するということ。
大人になるにつれ、至極難しいことと感じるようになっていった。


適切さ、簡潔明瞭さ、万人に通じる言葉。様々なことを瞬時に考えなくちゃいけなくて、
それを結論付けるには、時間がかかるというもの。
その間に、伝えたかった事はうやむやになっちゃって、収集つかなくなったりもする。
その間に、相手が話し始めちゃって言葉を飲み込む場面も増えた。



社会に出てからというもの、自分とは性質の違う人々と接する事ばかりで

そういった人達に自分を表現するには、言葉の適切さがかなり重要な気がしてならない。



自分は万人に通じる、共通の言葉しか使っていないと無意識に思っていた。
でも、ここへきて言葉の限界を痛感する。
自分の思いを人に伝えるには、時間も語彙も全然足らない。
だからこそ、腰を据えてじっくり話さなければならないと思ってる、きちんとした付き合いをするには。

上っ面の関係は意味をなさない関係だという考え方も、それから強くなったのだけれど。



わたしらしさ。は、気遣いと素直。わたしが理想とするわたしも、そこにある。

でも、素直さを追求すればする程、殻に閉じこもりがちになる。自分の考えを、押し殺しがちになったりする。

意志疎通の上手くいかない場面が多いから。そこに労力を費やす事に、興味がなくなってしまったのも事実。

上っ面の自分と本来の自分の使い分け。わたし、そんなに器用じゃないのに。
でも身につけてしまった。と同時に、気苦労が増え分裂する自分への恐怖心が高まった。



自分の考えや思いは混沌としていて、上手く人に伝えられないし、
瞬時に適当な言葉を選び取れない。
そういう根底の自分というものは、面白いくらい逆に何も変わらない。
根底の自分は、考えすぎる自分。適切さを重視したい自分。人を傷つけたくない自分。



もっと、あまり構えずに、人と接する事の出来るわたしを造りたい。
さらりと小粋なジョークでも交えながら言葉を
自分自身を表現出来る人間に、わたしはなりたい。説得力もセットでね。
そして、極力自分の使い分けをしないですむ存在でいられたらいい。

蹴落とし。見下し。特別視。


必死な自己防衛。褒められ慰められたがり。極端な仲間外れ意識。


自己愛。自己中。構われたがり。


出たがり精神。身勝手な気遣い。捻じ曲がった価値観。


出る杭は打とう、自分を脅かすものは。認めない、自分の不甲斐なさ。向上心の履き違え。




こういうの、本気で下らない。

所詮、あんたらもあたしも井の中の蛙なんだよ。ちっぽけな領土を守っててさ。



無意識ってタチが悪い。

馬鹿にするわけではないけど、無意識で人を嫌な気分にさせられるなんて、本当どんだけだ。

どうやってあんた、今まで人と向き合ってきたの?と問い質したくなる程に。




人間関係は、年を追うほど面倒臭くなる。

それに反比例するように、わたしの気分屋傾向も強くなる。

笑っていても、「あー帰りたい」ってたまに思ってる。実は。



興味の無い話は聞いているふりをして、右から左。

ふーん、って思ってる。だって面白くないのだもの。

わたしに必要無いと判断した情報だったの、ごめんなさい。あなたに興味が湧かないみたいなの。

記憶の無駄遣いをしないよう、自分に篩いをかけてる。




働いていると、様々なタイプの人々に出会いますね。

こんな事をたまに考えているから、生意気だと思われるような節があるのかもしれないね。

貴方達の生き方をとやかく言うつもりはない。

けれど、わたしは貴方達のようには絶対、なりたくないんだ。







わたしが一つ、信念として持っている事は、仕事は自己啓発の為にあるのだということ。

理想のわたし(内面的な)を造り上げることが、わたしの生きる意味だと常々思っているのですが

その「わたし」の形成のために、わたしは働いているのだと思っています。




その考え方があった上で、失礼な言い方だけれど例えば、人として尊敬出来ない人間がそばにいたとしたら

それに立ち向かうのもわたしの試練なのだろうと思う。修行のようなものなのだと思う。

何者にも崩されない「わたし」を造るためのね。

だから、わたしは貴方達の色には絶対に染まらない。故に、わたしはきちんと自分を持たなくちゃ。





でも結局のところ、下らないことに付き合って「わたし」を浪費するのはごめんなの。

だから線をつくる。ある程度のところに無言で領域をつくって、そこには入らせない。

そのような線をつくるのに、随分と時間がかかったものだ。

それはきっと、ある程度自分の働きに対して自分なりの自信がついた表れなのかもしれない。

ただ、驕ってはならない。最大の落とし穴。






こんな事をたまに考えながら、わたしは日々仕事をしています。

意識することは大事なことだと思う。些細な言動や、無意識の物事に対しても。

怖いことは、意識を忘れてしまうこと。自分の信念を見失うこと。

東京事変の「心」という曲があります。わたしの人生を表わすかのような歌。

初めて聴いた時に衝撃を受けた。

あぁ、わたしの考えている事と同じような事をこの人は歌ってる、って。

恐れ多くも林檎ちゃんに、えらく親近感を覚えた曲です。



あと、TOKIOの「雨傘」。これも林檎ちゃんの作った曲。

どうにもふさぎ込んで浮上出来ない時に出会った曲。

脳天ずどん撃ちされて、落ちるわ落ちるわ鱗が。

駅のホームでひとり、ひっそり涙をこぼしながら聴いていました。

元気をもらえる、しゃんとさせてくれる、わたしの背骨のような歌。



林檎ちゃんの音楽は、とんがっている中に小さい光のような救いが散らばっている気がします。

それはちんまくて、でもはっきりとした光。

だからこそ、余計に心に響くのではないかと思う。少なくともわたしにとっては。



どれだけ拾い上げてもらったか分からない。

彼女の歌が無ければ、今のわたしは形成されなかっただろうと感じる程。



彼女のように強くも脆く、強烈に惹きつけられるような人間になるのは

わたしには到底無理だけれど

わたしにとって、彼女は永遠の憧れだ。

(きっと彼女は、憧れなんて重荷なのかもしれない。でも、わたしはそう思わずにいられないの)




以下、一部分のみ抜粋


東京事変 「心」


頬に注いだ太陽に肖る快感 前を睨んで性を受け直す瞬間

手に取って触るだけで 解った気になっていた私に然様なら


妙な甘えでもう誰も失いたくない 逢って答えをそっと確かめたいけど

触れ合いに逃避するのは禁止 戸惑いつつも変えているんだ


生まれてしまった恥じらいを今日 嘲笑わず耐えて居たい

私は何度溺れたとして 泳ぐことを選んだんだって


汚れてしまった恥じらいを今日 受け止めて添いたい

私は何度堕ちたとして 生きることを選んだんだって


心と云う毎日聞いているものの所在だって

私は全く知らない儘 大人になってしまったんだ




TOKIO 「雨傘」


待って 鼻を利かせなよ

今宵は雨だろう 傘くらい携えて行け

恐いことは流されること 五感が有るだろう

何より頼れば良いのに


お前の瞳が暗く翳っている瞬間は何時も

気圧の所為にして 忘れているんだ


思い起こせ生命 自分の道具を

持て余す位なら 濡れて帰れよ


酷い騒音に言葉失えど 五感を涸らすな

其れだけ頼れば良いから


お前の瞳が濡れて火照っている瞬間は何時も

文明の所為にして 怠けているんだ


使い果たせ生命 自分の脳味噌

飼い殺す位なら 立ち尽くして居ろ


思い出せぬ程の深い痛手と

使い切れぬ程の高い理想抱え


びしょ濡れになったら迎えに行くよ

ただ自分の現在地 見誤るな