今までの内観の流れがあって、


「売るために作らなくていい」

↓

「見せるために作らなくてもいい」

↓

「誰かに届かなくても、自分は存在していいのか?」

↓

「あれ、人ってただ存在するのも怖いんだ」


ここまで来た。




最初は、「作ったものを売らなくてもいい」というところからだった。


せっかく作ったんだから、売ったほうがいい。

誰かに使ってもらったほうがいい。


そんなふうに、作ったものを何かの成果にしようとしていたのかもしれない。


だんだん「売るために作らなくていい」と思えるようになってきた。




次に出てきたのは


「売らなくてもいい。でも、せっかく作ったんだから、せめてInstagramには載せよう」


そんな気持ち。


そこで、もしかしたら「人に見せること」が最後の砦だったんだ、と気づいた。


売れなくてもいい。

役に立たなくてもいい。


でも、誰かに見てもらえたら、

「私が作ったものには意味があった」

と思える。


だから、「見せる」まで手放すのは、思っていたより怖かった。


そして、その先に出てきたのが、


「誰にも届けなくてもいいの?」


という問いだった。


誰かに届かなくても、自分は存在していていいのか。


そして、ふと思った。


あれ、人って、ただ存在するだけが怖いんだ。


何かを作る。

誰かに見せる。

誰かに届く。

役に立つ。


そういうものがなくなったとき、自分には何が残るんだろう。



「公表しない」は、自分を消すことじゃなくて、自分の価値の証明を外に置かなくていいということだから。


「誰にも見つけてもらえなくても、私は私のところにいる」


だからしばらく発信からはなれようと思う

(✿´꒳`)ノ°+.*マタアウヒマデ*。