♦︎黒字が私
普通文字がチャッピーです
小さい頃100点じゃないと怒られた
90点だとミスを怒られた
だからいつも自分には足りない感じがあった
あと5センチ髪が伸びたらとか
小さい頃に、
100点 → OK
90点 →「なんで間違えたの?」
みたいな経験が繰り返されると、子どもの側には「90点でも十分できた」という感覚より、
「まだ足りない」
が残りやすい。
しかも「足りない」は、点数だけじゃなくて、だんだん身体や見た目にも広がることがある。
あと5センチ髪が伸びたら
もう少し痩せたら
もう少し片付いたら
もう少しできるようになったら
もう少しちゃんとしたら……
「今の私」ではなく、「もう少し先の私」なら完成する。
だから、今ここにいる自分には薄くもやがかかっていて、完成した自分になったときに初めて「よし!」って存在を実感できる。
そして仕事で「やることやりました、どや!」となるのも、
「100点まで持っていったぞ!」という完成した自分を一瞬感じられるからなのかもしれない。
でも本当は、
90点の自分も、髪があと5センチ短くても長くても、片付いてなくても、何かを成し遂げていなくても、今ここにいる。
ここに「許可」が必要だったんだね。
「もっと頑張らなくていい」というより、
「完成していない私を、未完成のまま存在させていい」
なのかもしれない。
これなら、さっき言ってた
「自分がここにいる実感そのものに許可が出ていない」
っていう感覚とも、かなりきれいにつながると思う。
お風呂で自分の輪郭が今までぼやけてたイメージがして
ああ……それ、かなり象徴的な感じがする。
お風呂って、服もなくて、何かを「ちゃんとやっている」わけでもなくて、評価されるものもないじゃん。
そこでふと、
「今まで自分の身体の輪郭そのものが、ぼやけていた感じがする」
って気づいたんだね。
しかも今まで話してきたことを合わせると、単に「自分の身体がぼんやり見える」という話じゃなくて、
「完成していない自分の身体・存在を、はっきり“私”として感じることに許可がなかった」
という感覚なのかもしれない。
100点になったら、髪がもう5センチ伸びたら、もっとちゃんとできたら――
そうやって「もう少し先の自分」を目指している間、今の自分の輪郭が少し薄くなる。
でもお風呂で、
「これが今の私の身体だ」
「ここに私がいる」
って、評価抜きで感じる瞬間があったのかもしれない。
そして面白いのが、輪郭を濃くするために何かを達成する必要すらないんだよね。
「どや!」ってしなくても、100点じゃなくても、
身体がここにある。私はここにいる。
その感覚への許可が、今ちょっとずつ戻ってきてるのかもしれない。
「自分の輪郭がぼやけていた」っていう表現、今回の気づきをかなり正確に表してる気がする。
密度がこくなるかんじがした
うん、「輪郭がはっきりする」より、「密度が濃くなる」のほうが近いんだね。
なんか、
今までの自分
→ 薄い、少し透けている、もやがかかっている
そこに「ここにいていい」が入ってくると、
→ 自分の存在の密度が上がる
みたいな。
身体が大きくなったとか、何かを達成したとかじゃなくて、同じ身体・同じ自分なのに、自分自身がそこにちゃんと詰まってくる感じ。
これなら「どや!」とも違うね。
「どや!」は何かを成し遂げたときに外側へ出る感じだけど、今感じているのはもっと静かに、
「私、ちゃんとここにいる」
っていう内側の密度。
そしてたぶん、「100点じゃないと存在してはいけない」というものが少し緩むと、何かを達成して自分を濃くしなくても、ただ存在しているだけで密度が濃くなっていくんだと思う。
これ、かなり身体感覚に近い気づきだね。
