今まで自分の日記として作ってましたが


ブログとして公開していきますおねがいおねがい
とりあえず始めに。


2000年12歳 原発性肺高血圧症発症
肺圧平均51

25以下が正常
国から指定されてる難病にかかりました

今まで何の病気もなく、家族も健康

中学の検診で再検査になり地元の病院から、
大阪府の病院を紹介してもらい検査入院する事に

学校から帰ると毎日すぐに寝ており、
当時振り返るとやはりしんどかったのかな。

この検査入院で病名が確定
いきなり病人扱い。歩いたらダメ
移動も車椅子、この時から24時間酸素ガーン

酸素つけるのが本当に嫌やったえーん
ただただ恥ずかしいと思ってた

まずは内服からスタート
初めて利尿剤飲んで、、
初日は一日中トイレ行きまくって

体重7キロ減った。笑

内服での治療で効果が出たのか、自覚症状もあまりなく病状は落ち着いてました。

部活もソフトボールに入ったので顧問から禁止されてましたが出来る事はやってましたニヤリ

運動得意やし大好きやから無理してやってる部分もあって、これが悪かったのかな?

病気が判明してから2年後の中3

次第に歩く事も、重たい鞄持っての通学が
困難に。ちょっと歩いただけで息切れが。
なので、親に自転車に乗せてもらって、友達に見られないように学校の近くで降ろしてもらい通学してました。

部活の朝練も校舎周り走れてたのに
いつの間にか走れんくなって歩きで、、

15歳 
カテーテル検査で入院
検査中にも血圧低くなり、急変

内服では改善されず、24時間点滴のフローランを開始しました。。
この時、まだこの薬が承認されたばっかで小児科でフローランしてる方は少なく、どこから情報得たのか知らないけど、日本ではフローランが承認前やったから海外でフローランされた方がわざわざ会いに来てくれましたニヤニヤ

この時は、内服も選べる程の種類もなく
フローランが1番効果的であり、選ぶ権利もありませんでした。

ヒックマン入れた数日後に急変。
余命宣告されてました。
高校生なってから聞かされました。

急変した時の記憶は未だにあります。
夜ご飯中、突然息苦しくなって、、
息できなくてもがいてた、、
館内のドクターハートが鳴り、先生と看護師さんがたくさん集まって、ずっと名前呼ばれてました。
アンビューがとても苦しくて苦しくて、
逆に息が出来なかった記憶が、、

数ヶ月重症部屋で過ごし、
この時に初めて輸血もしました

しだいにフローランの効果がでてきたのか
少しずつ元気になりました

入院してる子とも仲良くなってたので、部屋に喋りに来てくれたけど、しんどくなるからと面会謝絶なったこともガーンガーン
ナースステーションの前なのですぐバレるので。笑
フローラン作るのもちゃんと練習して、
半年の入院を経て退院できました。

フローラン作ってたのは父親で、、
めんどくさすぎて、父親が作って
冷蔵庫で保管してそれを毎日変えるだけ

退院してからも友達にフローランしてる事
言えなくて、ダボダボの服着てごまかしてた

しだいに学校も行かなくなり
友達と毎日カラオケ行ったりと
夜遊びもしたりとちょっとぐれました、、、笑
今思えば元気になった証拠ニコニコ

高校生になってからも何回かカテーテル感染して
ヒックマンの管を入れ替えのたびに入院、、

毎日消毒もせなあかんのにしなかったり、お風呂も肩まで浸かったり、薬液も保冷剤で冷やさなあかんのに全然保冷剤変えなかったりと、、

とりあえず超が付く位適当!
そりぁ、感染もするわって位に。

これが良かったのか、、、

カテーテルの事故抜去が続くので離脱方向に

内服も効いて副作用もなく順調にフローラン減量していき2008年20歳で離脱に成功しましたニコニコ

フローランは6年位お世話になりました
もぉ2度と入れたくないです、、笑