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今回は不登校時代の家族との関係について書きたいと思います。
 
私が休みがちになった中学2年の頃、両親は共働きでした。
二世帯住宅で祖父母は1階で暮らしていましたが不干渉でした。祖父母との会話は挨拶ぐらい。
同居するとなった時、祖父母と両親で生活を分けると決めたようです。
子どもの頃は気にせずに「おじいちゃーん、おばあちゃーん」とその見えない境を気軽に超えてましたが、小学生の高学年になる頃にはその見えない境を感じるようになりました。
1階のトイレは使っちゃいけない(緊急時はOK)
土日の夜ご飯だけは一緒に食べる(これは私が大学生の頃に廃止されました)
親戚が来た時だけ朝ごはんは一緒。
謎でめんどくさい暗黙の了解。祖父母と両親の確執がひしひしと感じられます。
我が家のこの変な同居生活のせいか、結婚したら同居は絶対に無理!と感じています。
 
でも、高校時代、体調が悪くて歩いて帰れないとき、迎えに来てくれていたのは祖父でした。
不干渉というよりも、お互いにどう関わったらいいのかわかっていないというのが正解なのかもしれません。
 
少し脱線しましたが、そんなわけで私が不登校をしていたときに主に関わっていたのは両親でした。
休みがちになった時、両親は登校するように説得してきました。
母は体調が悪いという私を連れて病院巡り。内科、メンタルクリニック。
どこでも結果が出ませんでしたが、病院巡りが終わる頃には両親は【学校に行きなさい】と言わなくなりました。
後日談ですが、母によると「メンタルクリニックで『無理に登校させるのはよくない』と言われたから」と言っていました。
母は私が【学校で嫌なことでもあって行きたくないから行かないのだと思っていた】そうです。
先日も書きましたが、病院でも仮病扱いされたことあります。
当時、私の体調不良を信じてくれていた人いたのかなぁと少し寂しく感じますが、結果、ゆっくり休めていたのでまぁいいかな。
 
両親は共働きだったので昼はひとりの時間でした。
寂しいと感じる時もありましたが、私と母との距離感はこれがちょうどよかったのだと、今は思います。
お昼はレトルトカレーとか冷凍パスタとかインスタントものでしたが、いつでもあるようにしてくれていました。
自分で用意するから立ち続けなくていいもの、たとえばレンジでチンするだけとかは私にとってはありがたかったです。
好きな冷凍パスタのシリーズがあって、それはいつも補充してくれてました。
自分で買い物をするようになり、そのシリーズが他の冷凍パスタよりも少しばかり高いことを知った時は、何も言わずに買い続けてくれていた母に「ありがとう」と言いました。
 
「ありがとう」を言いたい人はもう一人います。2コ下の妹です。
私が中学3年生の時、妹は中学1年生でした。
先生から頼まれてプリントを持ってきてくれたり、「A先輩がお姉ちゃん大丈夫?って言ってたよ」とか、他にもいろいろ気を遣わせてしまったのだろうなと思います。
そして、現在、私よりも私の同級生と仲がいいという事案が発生していますガーン
 

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