家族の問題がある時、

例えば、親が色んな問題を起こす、
子供が不登校、兄弟に嫌な事を言われるなど…


その出来事が起きてる最中の時、

なぜそういう行動をするのか理解できない。

許せない、しんどい。。

自分の事を分かって欲しい。

という苦しい気持ちになります。

1番仲良くしたい関係だからこそ、
とても苦しくなります。



そういう時、、

まず、自分は自分、その人はその人、
という認識をしっかりと持つこと。

その上で、対処や接し方を考える。

もしも、その時の最善策が、
その人から離れることならば、
そうしてもいい。

物理的距離を置いてもいい。

家族だから、、何とか仲良くしなきゃ、と、
心優しい人は苦しむかもしれないが、

そうでなくてもいい。
そして、物理的距離を置けない場合は、
心の距離を一旦置く。
そして冷静にフカンする。

起きてる出来事よりも、
そこからどう生きていくのか?
その問題を自分の人生に活かすには?を考える。

すぐには出来ないかもしれないけど
少しずつ。。


今いる家族とは、
約束して家族になっていることがある。


もし、そうだとしたら、、
どんな約束をしていたかな??
この人の存在にどんな意味があるかな??
という風に考えることも出来る。


そして、家族に起こっている問題の
「行動や態度」は、もしかしたら
『愛』かもしれないという見方が
出てくるかもしれない。。


例えば、、

沢山愚痴を言ってきたり、
お酒を飲んで問題を繰り返す家族がいる。

こういう風にしてよ!とコントロール
しようとしてくる家族がいる。

そういう場合、もしかしたら、


自分の事を見て欲しい分かって欲しい!
あなたの事が好きだから。。
という『愛』の表現かもしれない。

そして、
どう考えても愛だとは思えない場合、

少し、時間が過ぎ去り、
後になってから、

『愛』だったかもしれない…

という気づきが降りてくる人も
いるかもしれない。。


例えば、その事に悩んだ経験があったから、
進んでいく自分の天職があったり、

後にその経験を誰かにシェアする事で、
誰かのお役に立つことになったりなど…

とにかく、、

この家族だったから今の私になれた。

という気づきを受け取る時が来た瞬間に

あれは『愛』だったな…

という風に気持ちが溶けて、、
変わっていくかもしれない。。



だから、今は、、

もし何か問題が起きているのだとしたら、

これは、もしかしたら・・

もしかしたら、
『愛』なのかもしれないな…とか、

これは、もしかしたら、
後々『愛』に変わっていく
かもしれないんだな…と、

見てあげるだけで、

何だか少しだけ、心が緩む気がするのです。



『きっと良いことに変わる!!』と、

コトダマの力を借りて祈る、ということ。



少しだけ…

少しだけでもいいから、
ここに『約束の意味』があるのかもしれない。
という事を思ってみると、


ほんの少しだけ楽になるのです。。









今日もあなたの心が
愛でいっぱいでありますように…

 

佳奈