顕正新聞の見出し
・「還御を祝し奉る記念大会」厳修 ”不思議の還御”を寿ぎ奉り、一千万達成を堅く誓い奉る。
(顕正新聞平成10年9月25日第777号)
 
・浅井昭衛会長発言
「大聖人様に、日本の広宣流布を誓い奉るということが、いかに重い事か、私はこのことをひしひしと感じております。開目抄には、『つたなき者のならひは、約束せし事をまことの時はわするるなるべし』と。
顕正会はつたなき者ではない。この重き誓いを、仏弟子として、ただただ命を賭けて貫き通すのみであります。」
(顕正新聞平成5年12月5日第619号)
 
浅井会長が上記のような信心を土台とし、『御遺命の正義を守られ、大聖人様仰せのままの信心をされ、広宣流布を進める唯一のお方』と信じて疑わなかった私は、会長の発言に心の底から感動し決意し、『誓願=亡国からの逆算、予言=大聖人様が立正安国論で示されたごとく亡国への予言』と受け止め、平成5年(1993年)活動を本格的に開始いたしました。
 
これから、大聖人様ご在世の鎌倉時代のように浅井会長の予言が的中していき、打ち出される誓願通り折伏も進み他国侵逼に間に合い、広宣流布が達成されると、固く信じました。
 
いただく誓願は亡国からの逆算であれば『破れば広宣流布を遅らせてしまう』『大聖人様に申し訳ない』と、毎月本当に必死に誓願を見つめて活動してまいりました。
 
顕正新聞に優秀支隊で掲載されてはさらに勇躍歓喜し、活動に拍車がかかったものでした。
 

会長の指導をより心肝に染めようと、時代をさかのぼって顕正新聞や機関誌の富士を拝読していく中、
 
「先般の武道館大総会で述べたごとく、あと二十五年で広宣流布できなければ、核戦争により日本も世界も破滅することは、一点の疑いもなきところであります。
ゆえに私はこの二十五年を逆算して、その時々、今何を為すべきかを考え、一つ一つ着実に、そして勇気と決断を以て、広宣流布を推進しようと決意しております」
(顕正新聞昭和58年(1983年)5月15日第266号)

 
「まず第一の目標百万を、私は今後十年間(1996 年) で成しとげようと決意をしております。
そして百万から一千万までを次の七年(2003年)で成しとげる。
さらに一千万から一億の弘通を、次の七年(2010年) で成しとげる。
これが私の決意であります。」
(顕正新聞昭和61年4月25日5月5日合併号第366号)

 
「顕正会は七年後(1998年)に百万になる。そしてそれより十年のち(2008年)には一千万になる。北東アジアの危機は、顕正会が百万を達成して一千万までの間に到来すると思われる。それ以前でないことを、私は祈念している」
(平成3年2月25日号第 523号)

 
など、まったく整合性の取れない過去の浅井昭衛会長の言葉に触れることが増えていっても、
『先生への忠誠心が足りない』『御遺命を唯一守護した先生を断じて疑ってはいけない』
と疑問や不信の気持ちをねじ伏せてまいりました。 

 
「本日、いよいよ一国諌暁の全貌を明らかにいたします。
私は前々から『百万達成時の十万人大行進の前に、どうしてもやらなければならぬことがある』と云ってきました。それが実は、今回の『一国諌暁』なのであります。
たとえ十万人の大行進をしようとも、顕正会の云わんとしていることが一国に伝わっていなければ、大行進だけでは意味がない。
そこに、十万人の国会請願の大行進をする前に、全日本人に、信じようと信じまいと、顕正会の堂々の主張を、耳に入れしめなければならない。それが、この七月から始まる一国諌暁の戦いなのであります。」
(顕正新聞平成9年7月5日第 738号)

私が当時いよいよ!と胸を躍らせた『十万人の国会請願の大行進』が実施されることはありませんでした。

 
「問題は、この他国侵逼が早いのか、一千万が早いのか、ということです。もし間に合わなかったら重大なことになる。
この一千万は二十年、三十年かかっていたのでは、とうてい間に合わない。そこで鉄石の決意を固めたい。私は(あと)十五年(2013年)で断じてこれを成し遂げると決意しているが、男子部諸君の決意はどうか。
このことができれば、広宣流布はもう決定的になる。一千万こそまさに広宣流布の鍵であります。
私は断じて間に合うと確信している。」
(顕正新聞平成10年9月5日775号)

 
それから時がさらに過ぎていくにつれ、期限どおりの誓願達成は未達が続き、いつのまにか前の誓願が無かったかのように誓願は下方修正され続けていきました。 

 
「では、他国侵逼が始まるのはいつごろなのか。(中略) 本格的な他国侵逼まで、残された時間は、十有余年はあると思われる。この時間こそ、大聖人様が顕正会に下された時間であると、私は拝しております。
その時までに、何としても、日本国を揺り動かす真の実力を備えなければならない。
私はその力を、三百万の団結であると、心に決めております。(中略)されば、まさしく三百万こそ広宣流布の鍵であります。
私は、この三百万を、何としても十年以内(2014年迄)に成し遂げ、重大な御奉公に備えたいと決意しておりますが、全顕正会員の皆さん、どうでしょうか。」
(顕正新聞横浜幹部大会平成16年9月5日第976号)
 
 
「『つたなき者のならいは、約束せし事をまことの時はわするるなるべし』と。
大事を成す者は、一度口に出した事は必ず実行するものである。」
(冨士271号顕正会「試練と忍従)の歴史P51)
 

「もし妙信講が折伏もせずに口先だけで広宣流布を云うならば、大聖人様から御叱りを受けます。」
(富士271号顕正会「試練と忍従」の歴史P71)

 
「大聖人様は口先だけの口舌の徒の発言をお許しにはならない。顕正会は口舌の徒ではありません」(第24回総会 顕正新聞 昭和61年4月25日・5月5日合併号第366号)
 
 
「大聖人様に誓い奉るということが、どれほど重いことか。もし口先だけの戯れ言であるならば、かえって大聖人様を蔑り奉ることになる。この重大さを、誰よりも私は知っております。
そのうえで、深く心を決し、誓い奉ったのであります。
そして全顕正会員は、この私の誓いに、同心してくれました。」
(顕正新聞平成9年9月5日第743号)
 
のごとくの『誓いも決意』も達成されぬまま、誓願未達を繰り返し、浅井会長は、令和5年10月に逝去されました。


 
この歴史的経過の事実をどう見るか…
私のように顕正会を離れるか、それともまだ『この先生』を信じ続けるのか?
 
聞けば2020年代が最終決戦とのこと。
あと6年、その6年が過ぎたら、浅井城衛会長は何と言うのでしょうね?
 
名簿を片手に小中高大学の友達を最大限勧誘しました。
 
「大聖人様の御金書の如くならば、こんど本格的な他国侵逼の難が起きる時こそ国立戒壇が実現の時であります。それまであと二十年。」
(顕正新聞平成6年(1994年)9月15日第646号)
 
を固く信じ、当時
『あと20年』を叫び続けました。
 
その友人たちに今言われます。嘲笑と哀れみの表情で言われます。
『あの時言ってたことどうなったの?』と。
 
そんな浅井会長の元を離れ2014年に日蓮正宗に縁させていただき10年が過ぎました。
日々ご加護を実感とさせていただいており、本当に日蓮正宗に縁できてよかったと、日々実感としております。 
 
はじめて御開扉をいただいた時の感激は今も忘れません。
 
 
どうか現役会員の皆様、『浅井会長は本当に付いて行くべき人なのか?』
をどうか今一度ご自身の成仏のためにお考えいただきたい。
 
元会員の切実なる願いです。 
 
 
元第5隊・第13隊・第33隊総支隊長補 T