浅井さんが亡くなったと聞いた時、
もし今も顕正会の中で活動をしていたら、どんな気持ちだったのだろうかとよく考えました。
もちろん答えの出ない無駄なことなのですが。
YouTubeで映し出されている方のように、嗚咽し、浅井さんに報告出来るようにと活動を加速したのか、冷めていろいろ調べ出すのか‥‥
今、このブログを読んでいる方たちの中には、いろいろ調べ始めている方もいらっしゃると思います。
私自身、顕正会を離れて20年以上たちました。
顕正会での9年、組長から女子部幹事まで経験した濃い9年でした。
ここに書きながら「9年だったのか」と、誰よりも自分自身が驚いています。
御宗門に帰依して20年という歳月が経ちました。
今でも思うことがあります。
「きつかったけど、顕正会の活動が正しいものであれば良かったのに」と。
あの頃の寝食を忘れた活動が、「大聖人様に通じるものであれば良かったのに」と。
「同志と泣いたり笑ったり、時を忘れて語り合った日々が無駄なことでなかったら良かったのに」と。
御宗門に帰依した当時は、顕正会の事実を知れば知るほどショックを受け、途方に暮れたり、愚痴をこぼしたり、心が大騒ぎでした。
それでも20年以上かかってしまいましたが、今は遠回りしたけれど、自分の人生の最後に間に合ったんだ、と宿縁を噛み締められるようになりました。
最近、元第38区長のSさんと笑い合いながら話をしました。
「顕正会時代、楽しかったよね!」と。
心の優しい同志がたくさんいて、困った人がいたら、自分の時間を全部なげうって困っている人の所に飛んで行く。
誰もが自分のためではなく、誰かのために時間を使い労を惜しまないという心優しい人が多かったです。
自分のことではないのに、自分のことのように受け止めて行動している人がとても多かったと記憶しています。
浅井さんや本部上層部は、嘘ばかりで狐と狸の化かし合い、滅茶苦茶でしたが、同志との時間はかけがえのない時間でした。
とても楽しい時間でした。
今の私は当時の同志に心から、あやまりたいです。
謝罪したいです。
20歳そこそこの小娘が、顕正会の役職ごときに勘違いを起こし、人生の経験も結婚も子育ても何も経験していない中で偉そうに分かった気になって、よくもまぁ、いけしゃあしゃあと話し続けられたものだと。
顕正会内で与えられた役職がナンボのものだったのか、顕正会を離れた今、本当に恥ずかしく、許されることなら、一人ひとりに直接お詫びしたいと思っています。
平成3年〜平成12年まで第9区だった方、私からは連絡先が分からないため、このブログを見ていたら、メールかインスタグラムのほうに連絡をください。
直接、お詫びをする時間をいただけたら幸いです。
メールアドレス
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元女子部幹事 第九区長 I