澤田大地のブログ

澤田大地のブログ

Instagramでは紹介しきれない長文をここに記します。
年間で
100冊の読書
100本の映画鑑賞
100枚の音楽アルバム鑑賞
100巻の漫画読破
100話のアニメ視聴
100時間のゲームプレイ
100杯のラーメン

私が中学生だった頃といえば、「宗教なんてインチキだ。人の弱さにつけ込んで金を巻き上げる組織に違いない」と信じて疑わなかった時期だ。
そもそも神や仏なんて非科学的だし、存在も証明されていないじゃないか――。そんな生意気な理屈を振りかざしていた。
母が学業を案じて「猫神様にお詣りに行こう」と言い出した日にゃあ、随分と抵抗して喧嘩になった。
「もし得体の知れないパワーで合格したのなら、それは本人の力じゃないじゃないか」などと屁理屈を並べる始末で、我ながら実に嫌な息子だったと思う。
そんな私が、御守りなど持つはずもなかった。
しかし、それをあっさり鞄に括り付けて通学する日が訪れる。大学入学を控えた春のことだ。
同居していた祖父が、交通安全の御守りを買ってきてくれた。
「東京は車が多いけんな、これ付けとれよ」
その神社は、自宅から車で片道1時間はかかる場所にある。私のために、わざわざ買いに出かけてくれたのだ。
その時、心に湧いたのは「御守りなんて」という拒絶ではなく、ごく自然な「感謝」だった。
誰かに「事故に遭いませんように」と切に願ってもらえることが、これほどまでに心に響く、有り難いことだったのか。その時ようやく、気づくことができたのだ。
その御守りに、人知を超えたパワーがあるのかどうかは、今もわからない。
けれど、この御守りに託してくれた「気持ち」は痛いほどわかる。そして今なら、あの時の母の願いもよくわかる。
御守りは、単なる宗教的なアイテムではない。そこには、何よりも重い「人の思い」が込められているのだ。
それが就学児童への思いなら、なおさら、その輝きは増すのではないだろうか。

早速訪れていただき、誠にありがとうございます!


私が「学ぶことの重要性」を改めて実感したのは、昨今のコロナ禍を経験してのことです。
特に、新型コロナワクチンの接種をめぐって、周囲と自分との考え方の違いに強い衝撃を受けました。

私は、ワクチン接種はあくまで個人の判断で行うものだと考えていました。
ところが、接種を強く勧めてくる人たちの中には、ワクチンの効果だけでなく、さまざまな「信念」や「前提」を含めて主張する人が多く、それが驚きだったのです。

たとえば――
• 接種すれば集団免疫が得られる
• 接種すれば他人に感染させなくなる
• 接種すれば感染そのものを防げる
• さらには「ワクチンでウイルスを撲滅できる」とまで言う人も

こうした言説は、専門家の間でも意見が分かれていた時期があったにもかかわらず、一部の人たちは「正解」として押しつけてくるように感じました。

政府は「公的機関の情報以外に惑わされないように」と一貫して呼びかけていましたが、厚生労働省の見解は次のようなものでした。

「ワクチン接種は重症化予防を目的とした任意接種であり、世代によって重症化リスクは異なる」

当初は、感染拡大の抑止にも一定の効果があるとの期待が寄せられていましたが、データが集まるにつれて、効果は限定的であることが明らかになりました。現在では、若年層への接種は必ずしも推奨されていません。

中には、接種が原因とみられる死亡例や後遺症が報告されているケースもあります。
リスクが比較的小さい世代については、より慎重な議論が必要だったにもかかわらず、当時の社会的な圧力はそれを許さない空気を作っていたのです。

「影響力のある人の言うことをそのまま信じる」「自分で調べない」「考えようとしない」。
もし、私たちの大多数がこのような姿勢であったとしたら、日本の未来はどうなってしまうのでしょうか。

過去を思い返せば、関東大震災の際、デマによって中国や朝鮮の人々が迫害された出来事があります。
あるいは、第二次世界大戦の開戦時、戦果に歓喜し、疑問を抱くことすら許されなかった空気。
私たちは、あの時代から本当に進歩しているのでしょうか。

誰かを排除し、少数派を抑え込むような空気は、すでに私たちの社会に忍び寄っています。
だからこそ、今こそ「学ぶ」ことが必要なのだと思います。
誰かに教えられるのを待つのではなく、自分で調べ、考え、理解しようとする姿勢を持ちたい。

学びたい。
理解したい。
人を愛し、人にやさしくありたい。

最高でした…
代表選手のみなさんお疲れ様でした🇯🇵
アルゼンチン🇦🇷おめでとう!