寝込んでいるので

私が時間がある時に考えがちな事をご紹介します。

①人間関係

②芸術やうつくしいものについて

③戦争と平和

④哲学

⑤栄養学、漢方、食事


中でも、

幼い頃から平和教育を嫌というほど刷り込まれてきた身としては、

普段の人間関係と、戦争-平和については

繋がるところがあると思い、よく考えております。


「なんでケンカしないの?」

「そんなに酷い事されて、仕返ししないの?」

「善人ヅラしちゃって本当はその優しさには裏があるんじゃないの?」

これは、

昔からよく言われます。


私にも攻撃性を有した時期が全くなかったか、

と言われたら、

そうではないと思います。


人との関係を築くのは今でも得意ではないし、

人に対してやってしまった事、

人を傷つけてしまって凄く後悔が残った事

もあるのです。


しかしながら、

様々な経験を経て、痛みも傷もある程度知る者としては、

自分の受けたような傷を

人には絶対に負わせたくないと思います。

自分の傷は、優しさや思い遣りに変換しようと努めてきました。


ですが、

他の人を観察してみると、

数十年が経っても「アイツに⚪︎⚪︎された、次に会ったらしばいてやりたい」

と言っている人や、

「仕返ししてやる!!」と復讐に燃える人も、

少なくはないですね。


特に男性陣…

中年、老年になった今も

幼少期の事を鮮明に覚えていて、

「担任の⚪︎⚪︎先生に頭殴られた、本当頭触られるの嫌だった」

とか、

「小学生の時イジメられてたけどいまだに許せない」

とか、

「就職したての頃に上司にめちゃいびられたけど、あれだけは忘れられない、許せない」

とか言っている人多い印象です。


うーん。。。


私もある時期まで、

自分の被害について、お喋りする事もあったのですが…

自分の意図とは違う受け取り方をされたり、

意図とは違う方向に物事が動いてしまうことが多いことに気づき、

相手に受け入れ体制が整っているか見極めてから

お話しするようになりました。


元々、被害者ヅラする、っていうのは

全然好きじゃないです。

私もが被害について喋る時は、

同情を買いたいとか、加害者へ復讐したいとかは1ミリも思ってなくて、

ただ自分の身に起きた事を説明しているにすぎないです。


だからこそ、とも言えますが…

2次被害にも遭いました。

その時はまぁまぁ悲しかったけど、

相手は、物事をそんな狭い見方しかできないくらいに…偏った身の置き方を選択した人なんだなと思うと、

気の毒になって来て、

別にいいやと。負けてあげようと思いました。

その人の振り翳した挑発にあえて乗ってあげて、

そうですよと認めて話を終わらせ、

その場を離れ、

泣きながら帰った事もありました。

でも、今でも全然怒ってないし、

お相手とは現在進行形で付かず離れず利害関係もない、ふんわりとした関係が続いてます。

特に好きでも嫌いでもないです。


世の中には、

ほんと色んな人が居て。

騙し騙され、

愛だ恋だ金だ権力だと得体の知れないものを語りたがる人も多くて、

信じられるものが見つからない時、

心や身体を委ねられる場所がない時、

居場所がなくて、

孤独を感じてしまう時もあります。


でもねぇ、

たぶん大丈夫って思うようになりました。


誰かと居て喧嘩ばかりの毎日を送るよりは、

1人で自分の尻を自分で拭える今は幸せだな、とか。


たとえ、仕返ししたいと思ったとしても、

やってないアンタは偉い👏

って思うんです。


くだらないプライドや、

陣地取り、

マウント合戦、、

一応戦争のない日本でも、

大人も子供も関係なく、

普段から勃発してる小規模戦争。

それらを終わらせる方法は、

指を噛んで我慢する事でも何でもない。

相手にしない事。

私の相手じゃないやー

って思うと、

何にも感じなくなりますよ照れ


世界はもっと広いんです🕊️

居場所や所有物にこだわるあまり、

執着してませんか?


こだわりを手放してみたら、

多分どうでも良く感じられますドキドキ

逃げたっていい。

休んだっていい。


人を傷つけてしまったら、

後悔したって、相手に赦されたって、

自分の心の傷は一生癒えることはありません。

本当の意味で自分の行いを悔やみ、

反省をしたら、

きっと死にたくなってしまうはずです。


私は、

ふとした時に、自分の両掌を眺めています。

幼い頃からの癖です。

自分の手を見ているとだんだん心が落ち着いて来て、

自分はこの世に何しに来たっけ?

の答えが導き出せます。

「そうだ、この手は人を傷つける為じゃなくて、

人を癒し、人を守り、人を支え、人を喜ばせるために使うんだった」

って思い出します。


安易な人は、

私の手に触れて、私の手を見て、

「若いのにガサガサじゃない?ハンドクリーム塗ってね」

と言います。

でももう、それにも何にも感じなくなりました。

子供の頃はスベスベのシワひとつない手に憧れたけど、今は一々傷ついたりもしない。

「みっともない手を晒して御免なさい。お気遣いありがとうございます。ハンドクリーム、塗りますね」

という返しも慣れたものです。

私のこの手は、祖母や母からの遺伝。

仕事をする為の手であり、働き者の勲章。

仕事の後遺症で痛むこの手に刻まれた苦労も、

この手が覚えている仕事の感触も、

すべて…よかったドキドキと思ってます。


まだまだ、働きたい。

誰かの喜びのために。

何より誰かを喜ばせるのが好きな、自分自身の為に。

働きたいです。


も少し休んだら、

また頑張りたいなドキドキ



↑ずっと行ってみたかったところへ

先日やっと伺えました💖


今みたいに熱がある時は、

人の優しさを思い出します。

母が病床ですりおろしてくれた林檎とか、

熱で死にそうな時に彼に剥いてもらった林檎、

差し入れで届けてもらった苺やシャインマスカット。


フルーツって本当にうれしい。贅沢


皆さんに生かされてます