こんちわー!(*´・∀・)ノ 

コラージュアートカウンセラー

カエル屋かなこ(かんちゃん)です。 


切って貼るだけのコラージュセラピー

コラージュ体験会やってるよー





前回の続きから。




そっか!!!!びっくりびっくりびっくり




わたしが持ってた期待ってアレだ。



わたしを1番に見てほしいー!!


わたしだけを大事にしてほしいー


わたしだけが大切だよって

言ってほしいー!!!だ。



でも、

それを言いたくないから、



あの時はそんなこと言える状況じゃなかったから

言い訳を欲しがって、理由を欲しがって、

この言葉を言わなくても済むように、

自ら納得させようとしてたんだー。



だからこそ、

今でもずっとずっと同じ方法で確認したがってるし

言える状況をずっとずっと引き寄せてるんだー

がびーーーーーーん(。-_-。)




で、でね、思ったんだけどね、




確かに拗ねてた。拗ねまくってた。

今も拗ねまくってて、それは変わってないと思う。



でもね、拗ねれるって、

相手への甘えでもあるでしょ??




ホントは、



『実はそれでも愛されてる』

知ってるからこそ拗ねられる。



分かってるからこそ、

拗ねるという技を使ってる。




でもそれは、

無意識には分かってても、

意識上では分かってないからこその行動。




だから

大人たちに、ただ聞けば良いだけのことなのに




言えなかった。

聞けなかった。



それは、たぶんわたしの意識上では…



ホントのホントに、

大切に思われてないんだ

わたしは、大事じゃないんだ




を感じることが、

一番恐れていることだったから




だからこそ、

先手を打った。



別にわたし、ひとりで

大丈夫だもん。平気!平気!




そうやって、先手を打って、

自分に保険をかけてたってことなんだねー。



どーーせ、

わたしのことなんて

大事に思ってなんかないよね


知ってます。知ってます。

わたし分かってますから。


別にそれでいいですから…


いつものことだし、

全然気にしてませんから…

 


そんなすね散らかした気持ちを、

自分で自分自身に常に振りかけることで、




最悪の事態

への免疫

を作ってたんだろうなー

とも思ったの。




拗ねるってさ、
確かにめっちゃ面倒くさいけど、

最初の最初は最大限の防御だった。


最低限、自分の心を守るための
唯一の手段だったんだと思う。


そう思うと、あの頃のちっちゃな自分は、
必死に頑張ってたんだなぁーって思う。
だって、伝え方なんて知らなかったんだもん。


【相手を困らせても、

それでも言ってもいい。】



なんて知らなかったから、
ずっとずっと、
その方法でしか対処できなかっただけなんだよねー


でさ、


大切な人のためなら、
いくらでも我慢って、
できちゃえるんだよね。
(我慢と思ってなかったりもする)



できちゃえるからこそ、やり過ぎちゃう。


やり過ぎても気付かない。


よく言われるのが、
出血多量の瀕死になってるのに、
まだ垂れ流しながらやっちゃう。
麻痺しちゃってて気付かない。

ってヤツ。まさに、それだね。麻痺ってる。



で、
麻痺ってるクセに、拗ねるのだけは一丁前。
(麻痺ってるからこそ…かな)


裏では痛い痛いと叫ぶ。
かまっての行動が、素直じゃなく、
わざわざの面倒くさい選択を選ぶ。



それも、そうやって、

面倒くさい自分でも
許してくれるのか、
見放さないのかを確認して
安心してるんだろうなぁーと思うんだ
(ヤンキーがする安心の得方だね)



でも、そんな確認方法。
もう、要らないよね???


そんな周りくどい確認の仕方しなくても

もうあの頃じゃないし、大丈夫なんだよね。
安心してもいいんだよね。

もう
わざわざ拗ねなくてもいいし、
わざわざ試さなくてもいい。


最初は居心地悪いんだろうけど、
徐々に徐々に、変えていこうと思う。

幸い家族の中にお手本がたくさん居るから
見習いながら、自分のペースで徐々に徐々にねー


だって、

人に言いたいことは、

自分に言いたいこと。


わたしの、


わたしを1番に見てほしいー!!


わたしだけを大事にしてほしいー


わたしだけが大切だよって言ってほしいー!!!


って言葉は、
わたしがわたし自身にずっとずっと叫んでた言葉。


大切な人(わたし)のためなら我慢できちゃうから
ずっとずっと我慢してくれてた。

そんで、わたしはそれに甘えてた。

ってこと。

それにもう気付いたから、もう知ったからね。

大丈夫だね。淡々と粛々と変わって行こう。