私は、小学生の頃レックリングハウゼン氏病と診断されました。
医師から「この病気は難しくて、結婚もしない方がいい」と言われました。
その時は、何故そんな事を言われるのかわかりませんでした。
でも、中学に入学して間もなく陰湿ないじめが始まりました。
最初は、言葉の暴力。体にある痣を見て、「バイキン、感染るから来ないで!」とか
「気持ち悪いんだよ!」と言われました。そんな私を見ても誰もかまってくれず、教師までが私を責めました。
何故私が責められるの?悔しさや悲しさが心の中で渦巻いていくのを感じました。
私は耐え抜きました。辛くても逃げたら負けだ、と思ったから。
2度目は、物を隠す・鞄から財布を取りお札を盗む・突き飛ばすといった行為。傷害・窃盗に値する時もありました。突き飛ばされて、机の角で頭を打ちフラフラ状態の私を見て嘲笑する。事態は次第にエスカレートし、事件へと発展しました。
事件?大袈裟だと思われるでしょう。でも、私にとってはあまりにも理不尽過ぎて許し難い出来事でした。
3時限目の授業が始まって間もなく、座り心地がいつもと違う感じがして落ち着かず授業は上の空。おかしいなと思い座り直した時、「痛い!」と叫んでしまい教室全体が騒然。
先生が「どうしたの?」と私の所に歩み寄って来られました。私は、先生に座布団を見せました。「これって…」流石に先生もすぐに返答ができなくて困っている様子がわかりました。その反面、どこからか嘲笑する声が聞こえて来たのも確かです。
授業は、最後まで行われました。その後、座布団は職員室へ。
後日、担任による質問攻めが始まりました。用紙を配り正直に自分がやったと書きなさいという指示。しかし、全員白紙。沈黙が数分続いて、誰かが「本人がやって他人のせいにしていると思います」と叫んでしまい、私はもう我慢の限界が来ていました。
結局誰も謝罪なし。誰がやったのかもわからず。
3度目は、もっと酷かった。屈辱とも言える行為を目前でされたのです。
心身ぼろぼろになり、暗闇を彷徨っている時1冊の本に出会いました。
私は、手にとって読み始めました。
本の世界というのは、個人の感じ方で変わりますが主人公と私は真逆でした。羨ましいと思いながらも3日ほどで読了した時、ノートにその本に対する思いをそのまま書き綴りました。そして国語担当教師に手渡したのです。数日後、原稿用紙に仕上げるように言われ2日後提出しました。
それから暫くは何事もなかったのですが、学校の行事で全校生徒が集まる日がありました。その日の朝、担任の先生から私が表彰される旨を言われ驚きました。
何だろう?不思議に思いながら集合場所へ向かいました。
私と部活の先輩が並んで最前列に座っている事に気づいて、先輩も表彰されるのかな?と嬉しさと複雑な思いでした。
そして、名前を呼ばれて壇上に上がりました。読書感想文のコンクールの表彰でした。私は中学の部で最優秀賞、先輩は高校の部で最優秀賞でした。
震える手で校長先生から表彰状を手渡されました。緊張して足も震えてました。
この時は、全校生徒から拍手があったのですが、教室に戻ると険悪なムード。
担任の先生から盾と図書券が手渡されました。でも、クラスで誰ひとり拍手をする者はいません。冷たい空気が漂っていました。
再び事件が起こったのは、数日後の事です。校内新聞に私の写真と感想文が載っていました。教室はあっという間にヒートアップ。突然、私の目前で写真と感想文の部分をハサミで細かく切り刻んだのです。ひとりだけではなく数人が一斉にやったのです。止める人なんていません。嘲笑しながらゴミだから掃除して帰れと命令。
この時ばかりは、腸が煮えくり返ったような気分でした。泣きたい気持ちも抑えて図書室に行った事今でも忘れません。当然相手は謝罪なし。
だから私にとって中学3年間は、まさに生き地獄そのもの。思い出なんてありません。
高校も同じです。シカトされ気持ち悪がられる日々。思い出がないまま卒業しました。
唯一の救いは、「皆勤賞」を授与した事。
病名についてはっきり知ったのは、30歳を過ぎた頃。パソコンで検索した時です。
遺伝病で、その確率は50%。遺伝性と突発性がある事。
私の場合は、突発性でした。
国指定になったのは、難病の中でも遅い方です。医師でさえ知らないのですから…
私は、病気と共に生きる事ができます。
夢を叶えるため日々大切に過ごしていきます。