既にご存じの方も多いと思いますがあの件です。
猫というのは好奇心の塊なので、危険物はそもそも猫の活動範囲から撤去するのが飼い主の嗜みだと思う。
現にウチは猫部屋のある2階はフロアすべて壁に刺さっている画鋲を撤去している。
※オフの時は2階全部屋を立ち合い前提で開放しているため(外に出ない程度の放牧状態)
これに限った話ではないが、動画目的で人間の良識を超えたことをするのはどうなのかと思う。
引き金になっているのは広告収入だと思うが、広告収入自体が悪いことだとは思わない。
よく引き合いに出されるのは「承認欲求」というワードだが、個人的にはこれが原因ではと思う。
お金が絡むとややこしくなるという点では、ネットワークビジネスと似ている。
人に見てもらうためにネタを次々と刷新しているようだが、人が興味を引くのは「何を表現したか」ではなく「誰が表現したか」ではないだろうか。
例えば自分がラーメン屋で「ラーメンうまいなう(古い)」とか言って写真を投稿しても誰も興味を示さないが、有名なアイドルが同じ投稿をしたら秒で1万アクセスはいくだろう。
何なら、画像や動画なし、文字表現のみで歴史に残る猫作品を夏目漱石が既に書いている。まさしく「誰が表現したか」の典型ともいえる。
以前も紹介したが、この本がこうした問題の救いになるのではと思う
それに、自分の猫はいるだけで幸せだ。
何もしなくていい。玩具で誘惑しても無視されてOK。でも時々構ってくれたら「今日はいい日だ」と実感できる。
これでいいのだ。