父が20年前に他界してから、お盆はお経をいただく日となった。

以前は盂蘭盆会(うらぼんえ)でお坊さんを迎えてだったが、最近では寺で合同法要をするようになった。

 

しかしそれにしてもここ最近の猛暑だ。

お坊さんも大変だが、扇風機だけでお経を聞いているこっちもかなりしんどい。

 

疲労第一段階ではモンゴルホーミーのように聞こえるようになり、第二段階では脳内でゲシュタルト崩壊みたいなことになり「なんで俺ここでお経を聞いているんだろう」「お墓って必要なのかな」とか色々駆け巡っていた。

 

大体、死んでから定期的に支出が発生するっておかしい気がする。

生きているうちは生命維持メインで支出が発生するのは当然として、生命維持に必要ないことにお金を払うって何だろう。

そんなことをするくらいなら、死にそうな動物とかにお金を使ったほうが良くないだろうか。

 

自分の兄も考えていたテーマになるが、自分もそろそろこの既存の風習によるコストをバッサリ切りたいと考えるようになった。

 

情報収集は始めたばかりではあるが、現時点では公園墓地が有力なのかな。

どうせなら猫たちと一緒がいいので樹木層とかあるといいな。

 

 

一般の墓から樹木葬への変更もできるみたい。

 

 

誰に記憶してもらうのではなく、好きな者と一緒に大地に還る終わり方って最高だな。

但し、猫たちが生きている間はしっかり生きる。

とりあえず、膝と腰を何とかしなくては。