昨日も大々的にNHKで放送されていましたね。


もともと、無縁社会なる言葉は、NHKが作り出した造語です。しかし、社会状況を的確に表したせいか、反響が大きいようです。


縁なんていうのは、ほとんどの人にとって煩わしいもののようです。したがって、今までの社会は、いかに縁が無くても生活できるような方向に進んできたような気がします。代表的なものが、転勤でしょう。これが多かったことにより、地縁を築けなかったばかりか、結婚すら出来ずに定年を迎えてしまった人というのが、案外多いのです。


今は、若い人たちにも無縁社会の影響は大きくなっており、経済環境と大きく関わっていることが浮き彫りになっています。


大学を出ても就職先が無く、仕方なく非正規雇用を選択しようものなら、そこから正社員への登用は非常に難しく、収入に大きく差がつくことになります。


そこで、諦めの心境になってしまうのです。


政治家は、今まで企業のトップや業界のお偉方(族議員に代表される媚び諂う方々の存在が有名)、それを取り巻く壮年世代の人々にしか目を向けておらず、こうした問題に真剣に向き合ってこなかったと言えるでしょう。もちろん、若い人々は、選挙に行かないので、眼中に入れる必要がなかった、という若い人々にも責任がないとは言えないのですが。


正社員と非正規社員との差を埋める必要があるのは自明の理のはずなのですが、要は動くに足るだけの「力学」が働かなかったのです。


若い人は特に、社会に出て間もないわけだから、大きなことを言えないという雰囲気があるのは仕方ないことですが、せめて選挙には行かなくてはならないでしょう。誰にしても唯一の権力行使の機会なのですから。もし納得できる候補がいなかったら、「該当者なし」と書いてきてもいいのです。これだって、立派な意思表示なのです。「該当者なし」が大量に集まったら、いかに暢気な政党であっても、考えるでしょう。また、候補にはいなかったけど、自分が理想とする人の名前を書いてくるのも有効です。これも、どういう人が必要なのか、ということを政治家に考えさせる良い方法です。


何にせよ、政治家は「選挙命!」なのです。


縁は煩わしいものであるものの、しかし、それがまったく無くなってしまう、というのは相当寂しいものです。煩わしいことは分かっているものの、それが無くなってしまうのは寂しい、という二律背反になっていることを多くの人が背負っているのは事実でしょう。


したがって、おせっかい焼き、というのには、良い点もあれば悪い点もある、ということになるでしょう。


しかし、私はおせっかいというのは、やはりいつの時代にも必要なことだと思っています。特に今の時代には必要でしょう。


おせっかいが駆逐される時代が長く続いてきたような気がします。おせっかいしようものなら、「うるせぇな、ほっといてくれよ!」って言われそうな雰囲気が強く漂ってきたような気がします。別にそう言う気持ちも分からないではありませんが、本当に嫌ってはいけませんし、後で「さっきは悪かったね」と言うような気遣いを見せる必要はあるでしょうね。


そんなことを言う人の気持ちも気遣ってあげなくてはいけないということです。せっかくあなたのことを思って言ってくれているのですから。言うのにも勇気が必要だったと思うのですよ。


ネットは、こういった問題を解決する有効な手立てには、ほとんどなっていないと思います。ネットでそういった友達が多く出来ている人もたくさんいるとは思うのですが、どうしても手軽で言い合えるというだけで、根本的な解決にはなっていないように思うのです。


周りの人をもう一度見直し、電話したり、メールしたり、会ったりした方がいいですよ。そっちのほうが絶対いいです。


ネットだと、どうしても出会い系のようなものが跋扈しており、怖い一面があります。つまり、健全ではないのです。健全性を目指すのが容易ではありません。


競争社会と縁の強化。一見両立させるのが難しそうですが、何とか一人一人が克服していく術を探す必要に迫られていると言えるでしょう。