1974/01 会津SL撮影旅行
1974/01/02 会津撮影旅行 その14 西若松その1
お読みいただきありがとうございます。
前回からの続き
会津若松から西若松へ移動し、会津線上りで唯一の運休でなかった貨物列車1390レを迎え撃つ計画。
西若松で下車せず、そのまま只見線まで下って、1492レを滝谷辺りなどで待ち構える作戦もあったが、暗くなってしまう可能性も考えて、事前情報はなかった西若松にしたようだ。駅近くで出発を撮れば少しは絵になるかもというような考えだつたようだ。
とにかく移動する列車があまりにも少なかった。
只見線下り会津若松発は、7:47のあとは、12:26、その次が15:19。
会津若松1519-1526西若松 433D
西若松駅ホーム
奥の対面が只見線で、向側が1番線、このホームの向こう側が2番線だったらしい。
手前側の3番線までで、これが会津線。駅名標の門田が会津線の次駅。
ネットで見つけた情報によると、只見本線側からは3番線への渡線があったとのこと。会津線からは渡り線はなく、待避線での交換は可能だったが、ホーム同士での交換はできなかったらしい。
上三寄、高田の表記は通票(タブレット)の形だろう。
上三寄は会津線の2駅先。会津高田が只見線の2駅先。
[1390] C11197 西若松 1542頃到着のシーン
腕木信号機が懐かしい。
左側が会津線の本線出発信号機。本線と隣に側線が2本。
右側が只見線の本線出発信号機。こちらは1,2番線から本線用が2本。
向こう側の場内信号機も左側が会津線から侵入、右が只見線本線用だろう。
2番線に進入。
ここで停車
ダイヤから、停車時間が少しあると読み取れたので、出発シーンを撮影するために少し移動するつもりで構えていたのだが、そのまま走り出して、日記によると、大いに慌てたらしい。
実は、入換作業だった。
時間経過と方向からすると、おそらく左側の貨物側線に停まっているタキを増結したようだ。
戻ってきて出発待機
次回、西若松出発
続く