緊急入院して数日後に主治医から
現在の症状と今後の治療についての説明がされた。


寛解導入をすると言われても初めて聞く言葉に良く理解出来ておらず、分かってもないのに「分かりました」って答えていたように思います。


抗がん剤治療をして
2〜3日おきに1度行われる採血の結果を貰いながら
先生の夕回診を受ける。
いつまでも芽球の数値がデータに載ってくる私に
何とか寛解に持ち込めれば…的な話をする。


その頃の私は
インターネットなどで
心が揺さぶられるような情報は見たくなくて
「寛解」を良く理解していなかった。

ただ芽球はがん細胞というのは理解していた。
今となれば寛解導入療法の目的や目標が分かるのだが、その当時は1回目の抗がん剤だし、1回でがんが見えなくなるほどなくなるなんてあり得ないだろうなんて思っていた。



とある日
先生が嬉しいそうに
「寛解したと思います!しばらく数値を見ていきましょう!」みたいに教えて下さった時も、
私は喜ぶでもなく、そのまま受容したように記憶しています。

それよりもむしろ
いつ一時外泊できるかの方が私の中で大きな関心ごとだった。


それから入退院を繰り返しながら…
地固め療法をしているうちに
体力も戻り、体調も良く


「こんなに元気なんだから…抗がん剤治療だけで、もう治療を終えても良いんじゃないだろうか。」

「ドナーの方にも相当な負担をお掛けしなくとも命を紡いでいけそうなのにな」


なんて考えていました。


つづく…