「晴耕雨読」というけれど、晴れた日の気温が体温を上回るほど暑かったりすると「雨耕晴読」にした方が良いんじゃないかと思う今日この頃。

大雨が降ったかと思えば猛暑の日もあり、もちろん仕事や他の用事もあるから、畑に行ける日は限られる。





というわけで全体的に草が茂ってしまっている。本当はもっとこまめに草とりをしないといけないのだが、収穫だけで時間がたってしまい、なかなか手が回らない現状がある。申し訳ない。

区画の通路や隣の区画との境界に接しているところは早起きが得意な家族に頼んで優先的に取ってもらっているから多少ましなのだが、区画内を頼むと必要な物も抜かれてしまうのでw


でも、区画内に生えている雑草の1/3くらいはシソなのではないかと思われる。








なかなか大きくならなかった白ナスだが、ここに来て逞しくなってきた。
それに比べ千両二号はちょっと元気がない。写真を撮りそびれた。








ナスの畝には4月にバジルの苗を植え、種も蒔いていた。
苗の方は梅雨入り前から摘んでも摘んでもとう立ちし、そろそろ黄色くなってきて、このまま終了しそう。
代わりに種から育てているほうが収穫期を迎えた。
でもよく見ると早くもとう立ちの気配。





里芋もだいぶ大きくなった。
でも葉っぱの大きさにしては軸が細い気がする。そういう品種なのか、これから太くなってくるのか。




そういえば少し前にスズメガの幼虫がついたのも原因かもしれない。大小4匹いた。
一株だけ、1匹ついてるぐらいだったら放っておくのだが、今回はちょっと多いと思ったので、草むらに移動させた。ごめんよ。(写真は移動させた雑草の上にいる小さい個体)

それにしてもきれいな黒だ。

虫が目立つということはちょっと肥料が多すぎたかなと思ったのだが、去年が不作気味だったので足りないのもいやだなと思って、考えた末有機肥料を畝肩の土に混ぜておいた。

 




雄花が咲いたけどどこにも雌花(トウモロコシ)がなくて、「あー今回は失敗かー」と諦めていたのだが、昨日行ったら4本中2本に雌花がついたので、慌てて受粉をしておいた。
1本でも収穫できるといいなあ。

トウモロコシにはヨトウムシが1本あたり1、2匹ついていて、少し前には葉っぱが1、2枚ボロボロになっていた。
これも肥料やり過ぎかな?とも思ったが、順調に大きくなっているし、オクラも同じ畝で育てているので、追肥した。





6月に種まきしたオクラ。ここに来て急に大きくなった。
小さいつぼみもできていた。
種袋には5月と書いてあるが、自分の畑で露地で手抜きで育てるには6月の方が合っているのかも。





ミニトマトと思って買った苗、やはり大玉トマトだった。

実は家庭菜園を始めた年にこのために100均で買っておいた、三角コーナー用不織布ネット、満を持してのデビュー。
多少なりとも雨や虫、鳥などから守ってくれれば。



たまたまミニトマトの苗づくりをしていたので、大玉だけにならず、良かった。



2023/4/30  
「苗七分作」
https://ameblo.jp/kan-gae-chuh/entry-12800919792.html

 

 





去年ほったらかしにしていたら後始末が大変だったので今年は脇芽を摘むようにしていたのに、ちょっと見ない間に今年もぼうぼうになりつつある。

今年は何とか去年よりも草勢を抑えて、収穫が減ったら代わりに割れて落ちた実もなるべく拾うとか、健全な栽培に終始したいものだ。
もう手遅れかもだけどw





勝手に生えてきたスベリヒユ。

見た目可愛いし、食べられる多肉植物だし、オメガ3脂肪酸を豊富に含む(らしい)、それが勝手に畑に生えてくる。

最強。
シュウ酸が多いということなのでしっかりゆでないといけないし、去年まではあまり積極的にとらずに時々1、2本他の野菜に混ぜていたくらいだったのだが、今年はがっつり収穫してみた。

つるんとした食感でおいしい。





穴だらけのアマランサス。順調に大きくなってトンネルを外したら、一週間でこうなった。暑さにも強いし虫もそんなにつかなかった記憶があるのだが、今年はバッタに狙い撃ちされているみたい。


同じところに種まきしたクウシンサイは初年度以外虫に食われまくっていたのに今のところ無事で、アマランサスが全部虫を引きつけてくれてるのかもしれない。今後どうなるかはわからない。





収穫物色々。




 

 

ずっと手を動かしていてもなかなか収穫が終わらない。

帰ったらちょっと休んで夕飯のしたくをしなくちゃならないが、大量に葉っぱをむしったりしなきゃいけないシソや包丁を使って切らないといけない野菜は後回しになる。

料理する時間が足りないほど穫れて、この時期はお昼から野菜のおかずてんこ盛り。
うれしい悲鳴、いやもはや一部本気の悲鳴なのかもしれない。