どこかのコマーシャルみたいですが。。。

親が思うやればできる子というのは、ある意味、誤解を含んでいるように思います。

この言葉に対応する言葉を考えると、

①やらなくてもできる子
②やってもできない子

③やらなくてできない子

④やってできている子

あたりになるでしょうか、このうち③はやればできる子と同意になります。また、④は
時系列と行動が異なるだけで、同じことですね。
では、①と②が全体の子供の中に占める割合というのは、どの程度かというと。。。

わからないけれど、経験上かなり少ないのではないでしょうか?

 

以前、札幌南の生徒を教えていた時に、数学が本当に。。。。

だったのですが、勉強もしなかったので、

「君の部活の1年上のやつ、学年トップだろ。どんだけ勉強してるか聞いてこい」

「うん。わかった。」

 

1週間後

「センセー。無駄だったわ。」

「は?なんで?」

「逆に、質問された。嫌味じゃなく。なんで勉強する必要があるんだ。お前って。}

「・・・・」

「・・・・」

 

①というのは、このような生徒です。

つまり、「やればできる」のは当たり前で、「やらないからできない」のです。

いわば普通の位置にお子さんはいらっしゃるわけです。

だとしたら、いかに④の状態に変えていくかが問題になります。

 

保護者懇談の中でもよくお話として上がるのですが、問題として上がるのが、

①自分の基準を低く設定してしまっている。例えば、60、70点で満足している。

②無知なふりをしている。

本当に知らないのではなく、わからないのではなく。真剣にそこに向き合えば、努力しなければならないという結論しか出てこなくなるが、ゆえに、あえて、意識して目を背けている。

 

この状況下において、親が「あなたはやればできる子なんだから」といったところで状況は改善しません。上記ケースは、やる必要を感じていないのですから、内部に動機がない。

環境を変えようとして、塾に入れる。はまる場合もあるが、はまらない場合もある。本人も行きたがらなくなってしまった。数か月での入退塾を繰り返すという場合もあります。

なんか、気に入ったところに友人の紹介で入ったけれど、友達としゃべって帰るだけ。時たまさぼっているようだ。
お金とストレスという負担は増すばかりになります。

 

子供同士の友人紹介による失敗、いわば友倒れ(誤植じゃないですよ)はこんな場合に起きるので警戒が必要と拙著でも書かせていただきました。

 

むしろ、生徒の内部にある課題に挑戦しないと十分な通塾の効果は得られないのではないかと考えます。できるだけ、うちは内部の動機を高める方向で進めるようにしています。

 

札幌市中央区PAT共育ゼミナールホームページ