皆様こんにちは。
今日は「潔斎」について思った事を書き留めようと思います。
「潔斎」や「斎戒」の意味をググったりチャッピーに聞くなりしてみると答えが出ます。
今回は言葉の意味ではなく、心や気持ちの部分で私が思った事を書きます。
現時点で一週間後に御山への登拝を控えているため、「潔斎」しています。
朝晩の水行に四つ足、肉断ち、可能な限り五葷も避けます。
ある一定の行者、先達は御山の登拝や神事などで潔斎を行います。何故かというと、そういう決まりというのもありますし、ご神仏に対しての最低限の心持ちを体現するためではないかと思います。
今でも御山に入る際、お滝に入る際潔斎を必要とする信仰の場はあります。
心がこもっていれば何してもいい。というのは一見正しそうに見えて、ご神仏への敬意にかけます。それに慢心を起こしています。
我々の身近なことに譬えてみると、
仕事での商談や接待、デートでも結婚の挨拶でもいいですが、大切な人と会うのに、身だしなみわきちんとしない方はいないと思います。
人と会う時のマナーもありますが、それ以前に相手の事を考えて服装や持ち物、お土産など考えると思います。
それと同じで我々行者、先達はご神仏の座す御山へ行くのに身だしなみができないようでは咎めがありますし、やはりそれは信仰とは言えません。
心、心といってもやはり相手(ご神仏)がある事です。人と同じであり、それ以上に気を使うわけです。
好き勝手していいわけはありません。
富士山もすっかり観光のお山になりましたが、まだ信仰での登拝の方もいます。霊山と呼ばれる御山に登る際は「潔斎」せずとも敬意を忘れずに登っていただけたらと思います。
あくまでも山ではなく「信仰の場」です。
また話の流れで「滝行」についても。
一部スピリチュアルの方にも申し上げたいのは、自己流の滝行はやはり物理的にも霊的にもよろしくありません。
お滝に勝手に入ってはそのお滝に坐します神様にも非礼ですし、お滝には入り方があります。
滝行をしている神社やお寺の先生に指示を仰ぐようお願いいたします。
まとまりがありませんが、お読みくださりありがとうございました。
かむづかさ 拝