photo novel 「同居」

「同居」に寄せられたコメントが長くなりそうなので、記事にいたしました。

勇気を振り絞ってのコメントありがとうございます。
どのような関係でもそうなのですが、一番最初の熱意が一生続くというのは極めてまれです。
男は一度手に入れてしまうと自分のものになったという感覚が強くなる傾向はあるでしょう。
女性はスキンシップはして欲しいし、話し相手にもなって欲しい。
最初「恋」という熱で無意識にやっていたことはいつの間にか失われている。
熱の冷めた後は意識的に創意工夫しないといけないということです。
そのためには両者が自分のことを反省したり常日頃会話を持つ機会をどんどん作っていかなければいけないと感じています。
どうしても同じ空間で衣食住を共にしていくと、今までの自分の生活リズムの癖が生活空間の中にも出てきて、なおかつその日常生活の中に新鮮味が埋もれてしまいます。
暮らしていくと「生活すること」に重きが出てくるのはしょうがないことだと思っております。
そうなってしまうと互いに異性としての魅力に対して手を抜いたりしてしまいがちになったり、互いが「男女」という関係ではなく「同じようなもの」のようにどこか見がちになります。
例えば片付けをしない男に対して苛立つ女とか、色気に対して気を抜くようになった女に対しあまり抱きたくなくなった男とか、疲れて二人とも異性の関係どころじゃないとか。
どこかで「こうあるべきだ」という思い込みとすれ違いが出てきます。
ケースは色々ありますが、セックスだけでも女性は愛情不足だと感じるでしょうし、かといってそれがないと少なくとも男は欲求不満になりますし。
今回の小説は女性のほうを我慢させてみましたが、怒る方もいらっしゃると思います。
そして女性のアプローチに男性も気づく、という割と修復可能なケースでもあります。
小説なので絶望的な状況は作りませんでした。
日常生活の中に埋もれてしまうと「当たり前」という感覚の中に小さな不満も埋もれがちになります。
この小さな不満の積み重ねが無意識的なストレスになっていくことはすごく多いのです。
そしてある時表出してしまう。
突然何かの拍子に爆発するのでは関係は悪化するだけなので、常日頃から不満などをさりげなく言い合えて、かつデートなどの楽しみがあったりするといいのかもしれません。

私の考えですが、人間は何かを獲得しないと分かち合えない生き物であって、変わらぬ日常を繰り返すだけでは閉鎖的な環境と一緒だと思うのです。
本を読んだり、何かを鑑賞したり、新しいことを始めたりなど、吸収することを増やしていかなければ誰かに新しい何かを分け与えることは難しい。
ですので、自分を変えていき、相手にも分かち与えられるよう、日常の中の意思疎通がとても重要な気がいたします。
今回は女性がきっかけを作りましたが、女性からしたら男性にリードされるのが嬉しいでしょうね。