小説のジャンル分けの中には「ティーンズラブ」と呼ばれるものがあり、その名の通り25歳以下くらい(?)の若い恋愛を扱ったものがあります。
主に学生や、あまり社会で厳しい目にあっていない、精神的に擦れていない純な方たちの恋愛を描くものなのですが、大人の重苦しい恋愛とは違い、恋愛小説におけるライトノベルといった感じでしょうか。


私にも若い頃があり、ピュアさを出して真っ直ぐに人を好きになった時期がありました。


現在は、というと・・・・・・

色々と傷ついてしまい、人は変わるのだ、変わらないはずがないのだ、という気持ちがどこかにあり、自分の中である種の「保険」をかけるようになってしまいました。


つまり、「いつ気持ちが変わってもいいように自分も過ごす」ということです。
出来る限りのことはしますが、合わなければ昔みたく、しつこく食い下がることなく、さっと身を引くことを大事にしています。
そこまでは、出来る限りのことをする、ということです。


大人になると、という言い方もおかしいのですが、やることが増えると「恋愛のみ」に労力を割くことはできなくなりますし、恋愛よりも大事な事が増えたりします。
生活のことだったり、将来のことだったり、自分が生きていくことを自分で保障しなければいけません。
そしてようやく自分の生活が保障されて、ある程度恋愛への時間を割けるという事情から、大人の恋愛は「甘い」というよりも「塩辛い」感じがいたします。


しかしよく気がつかされることなのですが、女性は雄々しく尽くされたいし、男性もまた母性的に尽くされたいと望んでいます。
両者とも「恋愛小説」や「ドラマ」のような「夢のような話」や「過去に経験した理想的な恋愛」を基準にして現在の恋愛を見がちではあります。


「夢のような話」というのは「時間」と「労力における物理的限界」を結構無視しているので、まるで人間は恋愛に関して、「好きならば、どこまでもやり続けることが出来る」という錯覚をしがちです。
実際に恋愛をしてみれば、尽くすことにもペース配分をしなければいけませんし、「恋愛疲れ」のようなものもあります。
つまり休憩を差し挟まないと疲れ果てます。


恋愛をし始める時、「恋の真っ只中」にいますから、いくらでもできそうな気持ちになりますし、その勢いこそ「恋」よ呼べるものなのですが、この時期大変無理がきくので、ふと恋が冷めたとき「無理だった部分」が物凄い勢いで疲れとなって襲ってきます。
だいたいこれでダメになってしまうパターンが酷く多いのですが、年配の大人でも、若い頃と同じような失敗を堂々として別れます。


言うなれば「支え方」にも「労力の限度」があり、お互いの「労力の限度」は実生活の中にこそあり、ちゃんと見えていないと際限なく甘えてしまうことになり、それが相手を潰してしまったり、自分の過信が後にギクシャクしたものを招いてしまうことがあります。



簡単に別の言葉でまとめますと、

・「恋」は「ガソリン」のように爆発的に燃え上がりエンジンを動かすが、燃料消費も爆発的。

・「理想」は「無限」。「労力」は「有限」。

・「理想」は「現実的な努力の果て」にようやく見えるもの。


どうしても私はシビアに恋愛を捉えてしまうため、甘いお話を書いていると現実的なことを考えてしまい、取材対象のお話も組み入れたりすると、嬉しさ半分辛さも半分で恋愛小説を書いてしまいがちです。
小説は「お話」なので、シビアさの必要性がないのですけれど。


逆に「恋」よりも「愛」のことを考えることが物凄く多くなりました。
私も恋をして結構ていのよいこと口に発し、できなかったことがたくさんあり、すれ違ってきたことも多かったのです。


「できることを、一生懸命積み上げていく」


「思い出」と呼ばれるものは「体験」の中でしか出来てこないと思うのです。
たくさんの言葉は、その場限りでは甘いものだったりします。
当然たった一言で壊れてしまうものもありますけれど、きちんと思い出作りのための行動をしていけば、それはよい思い出になると思うのです。


人は意外に、この「思い出の力」が人生の活力になったりします。
よい思い出は、ふとした瞬間思い出すのです。
そして心を彩ったりします。


「恋するよりも愛すること」


愛することは大変です。
莫大な労力が必要だし、忍耐力も必要だし、とても厳しい環境下でも切り抜けていけるような勇気や、時として知力が必要です。
本当に愛しだしたら、投げ出したいような辛いこともたくさん起こってくるでしょう。
立ち向かっていく価値があると思ったものに、立ち向かっていかないといけなくなります。


理想を言い合うのはとても簡単な事でも、きちんと労力の限界を互いに把握しあうことは、日々の話し合いの中でしかわかってきません。
「愛」は非常に現実的なものだと考えています。
そうでなければ「愛」が成り立たないのです。


恋愛をすると「恋と理想」と「愛」を混同して考えがちになります。
なので失敗することもたくさんあるとは思います。
悩んだり苦しんだり泣いたり喜んだり笑いあったりする姿を見ていると急に嫌だった人間も愛おしく見えてきます。
私は、そんな「人間臭さ」を「小説」として描きたいなと思っています。