スマホトラベラーアオイです。
  
今日は目的に会った行動について英語学習の例を交えながら書いていこうと思います。
  
  
日本人は英語にコンプレックスを持っている(ことが多い)人種である。
  
  
そして、日本人はことごとく英文法の学習が好きである。
  
  
学校の英語の授業で英文法の授業が大半を占めていたことが原因であると思うが、
  
  
僕は多くの日本人が英文法を一生懸命学んでいるのをみると「かわいそう・・・」と思ってしまう。
  
  
なぜなら英文法を学んだところで英語は喋れるようにならないから。
  
  
もし、仮に「英語をしゃべれるようになる」というのが目的なら、
  
  
「実際に英語をしゃべる練習をすればいい」
  
  
極論言えば、それだけだ。。笑
  
  
これはいつかの記事で書いたかもしれないが、
  
  
野球でヒットやホームランを打ちたければ実際に「打撃練習」や「素振り」をする。
  
  
水泳で泳げるようになりたければ、実際に水の中で体を使って「泳ぐ練習をする」だろう。
  
  
しかし不思議なことに、
  
  
日本人は、こと英語になると、実際に口を動かして発音したりする練習をせず、
  
  
なぜか英文法を学ぶ方にいってしまう人が後を絶たない。
  
  
(やはり、日本の学校と受験の弊害か。)
  
  




誤解を恐れず言えば、
「英語をしゃべれるようになること」が目的なら英文法なんて本来はどうでもいいのだ!
(ドドーン!)
  
  
アメリカの最先端を行く英文法学者でさえ、自然言語としての英語を解明できていないし、説明できない点が多いのだから。
  
  
アメリカというネイティブの最先端の英文法学者でさえ英文法について解明もできていないのに、
  
  
英語も話せない日本の英語教師はさも偉そうに「お前の英文法は間違っている!」などと言ってしまう。
  
  
いやいや、その英文法は最先端の学者でさせまだ解明できていないからね。。。笑
  
  
みたいな話なわけです。
  
  
解明されてもいない英文法を英語が喋れない日本の英語教師がその英文法を正しい、正しくない、なんていうことは本来言えないのだ。
  
  
お門違いも甚だしいのだ。
  
  
「自然言語が先、文法は後」なのだ。
  
  
そう、文法は自然言語を説明するための後付けでしかない。
  
  
もちろん好きで英文法を学ぶ分には構わないだろうし、
  
  
英文法の学者になりたいというなら大いに学んでもらいたい。
  
  
がしかし、
  
  
「英語が喋れるようになりたい」というのが目的なら英文法を学ぶんでいる場合ではない。
    
  
なぜなら"目的が違う"のだから。
  
  
「英語が喋れるようになりたい」なら「英語を喋る」しかない。
  
  
「英語が書けるようになりたい」なら「英語を書く」しかない。
  
  
「漫画を描けるようになりたい」なら「漫画を描き続ける」しかない。
  
  
「自転車に乗れるようになりたい」なら「自転車に乗る練習をする」しかないのだ。
  
  
「野球がうまくなりたい」なら「野球の練習をする」しかないのだ。
  



  
いたって当たり前の話をしているが、いかがだろうか?
  
  
もちろんその時々でいろんなテクニックや学び方があるのは当然だが、
  
  
重要なのは本当に「目的を達成するための行動がが出来ているかどうか」である。
  
  
これは英語学習について書いた記事だが、
  
  
本来人生の中で何かの学習するときにおいては、すべてにおいて当てはまる考え方である。
  
  
「英語が喋れるようになりたい」のに「英文法のお勉強」をしたりお門違いな学習をしていないだろうか?
  
  
その行動は目的にあった行動ですか?
  
  
目的を明確化することがいかに重要か。
  
  
今一度確認したいところだ。