動画も、興味が向くものは色々見てますが、海外の闇のルポタージュは考えさせられます。
ガザの映画を観たときもそうでしたが、生まれる場所が時代が違ったら、人生は最後まで苦しく希望が持てない可能性が高い、というところに震撼しますね…。
(苦しいというのは外側の感想で、中にいるとまた違う言葉になるのかもしれませんが)
でもここで、「そうか日本はなんて恵まれているんだろう」と思うのもありますが、わたしが思うのは「無意識ではどうつながってるんだろう?」という事です。
遠いから、知らないから、目に入らないから…と、無関係に過ごすこともできますが、実はパーテーションは薄皮一枚のようなもので、誰しもめちゃめちゃ関係あるのよ?
というのが、わたしの推測です。
お部屋とかでも、面倒なものを一ヶ所に押し込んで、「開かずの間」にしちゃうことありませんか?
社会でも、役に立たない(とラベルを貼られた)人間をギュウギュウに押しやって、「こっちに来ないでね」て事があるんだと思います。
この押しやられた部分には、人のカルマさえ押し付けられて密集している
という凄いことが起こっているのでは…とか思う。
ちなみに、人間の身体でも同じ働きが起こっていて、腫瘍なんかは身体の悪いものをできるだけ一ヶ所に凝縮させて、できるだけ身体全体に影響が出ないように、全体を守るように、最適解を図る…みたいなことがある。
なので自然の摂理と説明もできるけど、でも腫瘍を抱えながら、て理想的な状態なのだろうか?ていう話です。
そして、意識が変わらないまま亡くなれば、また次の世代につながっていく。
浮かばれない思い(カルマ)が地球に蓄積していけば、ひとりひとりにのしかかる負のエネルギーも増していくし、格差の度合いも激しくなる。
前の記事で書いた、「死にたい気持ち」も、ひとりの人生の重たさだけで、死にたいと思えるだろうか?
と、私は疑ってたりします。
それにしても・・・
わたし、なかなか海外に出る縁がないな~と時々ふと思う事があったんですが、おそらく、キレイなところしか見てなかったからでないかな…。
自分が行くなら、派手な行動ではないにしろ、こういった闇にも目を向けていかねばなあと、動画を観ながら思います。
こうした地球の闇、昔の自分なら観てるだけで暗い気持ちになってきて、ちょっとダメだったかもしれません
今は耐性があるというか、陽(陰陽の陽)の力がついてきたというか、向き合う余力がある気がする
引っ張られることもあんまりない
まずは、想うところから。
意識を向けるというのは、カルマにとっては光が入るのと同じことなので。
ほんと、祈りの力はバカにならないです。と信じてます