わたし前々からなんですが、いくらツラくても「死にたい」とは思ったことがないんですよね。
いや、「同じようにツラくてもわたしは死にたいなんて思わない」と荒ぶってるのではないです。
死にたいと思う位、わたしより絶望的な状況なんだとは察してます。
いや普通に、手首切るとかめちゃくちゃ怖いし…よく出来るな!!!とマジで思いますが。
Amazonの読み放題に入ってます。
こちらは結構、「なるほど!」と思える(^^;
当事者の気持ちが冷静に語られ、無下にかけられる言葉への言い分などもわかりみ深い。
わたし自身がなぜ死にたいと思わなかったのかを分析すると
1,たまたま勉強ができたので、取り柄にしがみついていられた
2,歪んではいるけど、親に愛情を注がれた
3,マンガが好きで絵をかくことである程度の自己浄化ができた
という辺りが思い浮かぶけど、一番の根っこには
やる気をもって生まれてきた
というところなのでは・・・??
と思ったりしてたんですよね。
みたいな感じで来てるし!
生まれる目的がコレ↑なので、つらい経験も、「おみやげの一種として貴重な出来事」と捉えられてたのかもしれないです。
そんなことを思っていたら、上に紹介した本の中でも、「生まれてきたくなかった」と書かれていて、やっぱり前提は大事かもしれない…と思った次第でした。
セラピスト時代に、クライアントさんの「生まれてくる前、まだ上空にいるときにどんな気持ちだったか」をリーディングする機会がたびたびあり、すごくイヤイヤ生まれてきたケースも見ていたし、
こちらのマンガでも、「ノリノリで下りてくる魂もあれば、泣きじゃくって嫌がる魂もいた」という描写があり。いやいやそれはやっぱり、どういう人生が待ってるかは空から完全ではないにしろ予測はできるわけで、例えば「虐待されるやん」とか思えば絶対生まれたくない!!とかスタートから絶望的になるのは気持ちわかるわな・・・。
ちなみに私の場合、そもそも3つの選択肢のうち、第2希望の親に決まったたんですが、確定した時点で、「苦労するな~」ってのは読めていたようでした。
なので、もう全身全霊で「被害を最小に抑え、できるだけ早くリカバリー(復旧)する」というのが命題だったわけです。
お腹の中にいた時代から(笑)
どんなに何を思われ言われようとも、それは私の人生として本質的な戦略だったという思いは揺るがないです
さて話は戻るのですが、死にたい状況って、おそらくほんと過酷ですよね。
死ぬのも容易ではないけど、生きるのも無限なる地獄。
こういうネガティブな意識って、四六時中発しているし、強いし、集合無意識にも関係してくるのではと思ったりしてます。
例えば、「死にたいけど、死ぬのも怖いから、世界がなくなっちゃえばいいのに」ていう発想も当然出てくるだろうし、そしたら戦争だとか、核だとか、異常気象や疫病なんでもいいんですが、「世界が消えてしまえ」という集合無意識の欲求が、「地球の人類ごと自滅」の実現を誘導する図式って十分にあり得ますよね。
だから、自分のやってるボランティアサークルの究極の目的は、「日本人にDNAレベルから元気になってもらう」ていうのがあります。活動そのものは、非常に草の根的ですけど…。
次の記事では、個人の闇から地球レベルに思考を移したいと思います。
※今回の記事では、精神錯誤による衝動的な希死念慮は考慮外としてます。