暗い話から入ってしまうけど、仮に「父親から虐待を受けていた」という人がいたとしたら、高い確率で、「父親が亡くなる=ラスボスが消える」という認識になるのではないだろうか。

 

わたしの場合、毒親気味の母親から抑圧されて育ったことがあって、そのためセラピストになったことは間違いないと思うのだけど、その母は2年前、ガンが見つかり恐怖から半分錯乱した状態で、痛みに耐えた末に亡くなった。

(ちなみに私は母という存在に感謝しているし、母もわたしのことは「娘は頼りになる」と感謝してくれていた)

 

そして空いた実家は、半年かけて去年無事に売却。

実はわたしにとってのラスボスは、この実家の「家」だった。

 

住んでいた子どもの頃から実家の家が好きではなくて、子ども部屋の2階なんて、昼間からラップ音がするし(笑)、小学生の頃はずっと怖かった。空き家になって、片付けは私と夫でやったのだけど、実家にあったものを大型ごみで処分するために、自分の家にもってきたら、家族がみんな殺伐として体調も崩したりしてたのが今考えるとウケる💦

 

そしていろいろありつつも無事に売れて、実家は解体することに。

 

あの家が無くなる!

 

それはわたしのひとつの時代が終わる合図のような気がしたし、実際更地になると(見てないけど)、ものすごい安堵感が湧いてきた。

 

この安堵感は、この記事でも書いたような、「もうこれだけで白いご飯が食べられるような、タダで味わえるおいしいやつ」で、ふとしたときには「うわあ、もう私に迫ってくるやつ、いない」と思い出しては喜んだショボーンだって嬉しいんだもんw

 

虐待受けた子って胸腺が小さいという話があるんだけど、私もセラピスト修行時代には胸腺にだいぶストレスが入ってて、例えるならヤンキーから絶えずオラオラ恐喝されているような恐怖がしっかり入っているのを自覚し、手こずった…。結論から言って、段階的に軽くはなっていたけど、ラスボスとして最後まで自分の中にいたということですよね。

 

最終的には、家が物理的に無くなる事ことで、エネルギーから解放された。

ふつうに断捨離の理論とおなじ!

 

めでたしめでたし、だけど、次には「もうラスボスを言い訳にできない」と痛感する出来事が起こるのだった…。

やる気が出れば書くかも…です照れ