こんばんは☆
はい、答え発表のお時間です(´∀`)
っと、その前に正解者発表ですねヽ(*´▽)ノ♪
今回の正解者はー!!!!!!
8人中3人でした☆
☆洋☆さん、
Masaさん、
ぴぃさんでしたー(*´∇`*)
おめでとうございます
ρ( ^o^)b_♪♪
そうです、私は宮城県の仙台市に行っていました(o`・ω・)ゞ
皆さん、よくわかりましたね!\(◎o◎)/
今回仙台に行ったのは、旅行って感じではなく
家庭の事情と言いますか…なんと言いますか…(~・_・)
チビたんをゆーばに預けて、
ママンと二人で仙台にいるおばさん(ゆーばのお姉さん)のお家に行ったのですよ!
まぁ、野暮用ですね!ヤボ用(~・_・)
6時間近くバスに揺られ、17時間の滞在で
また6時間バスに揺られて帰宅でした(´;ω;`)
ハード&お尻痛す(´;ω;`)
なぜか左だけ痛かったです(~・_・)
仙台について、マミーと晩御飯
それはもちろん!
牛タン(≧∀≦)






厚切り牛タン様に、
牛タンスープ、
麦ご飯、
大量のおつけもの!!!!!!
神!
して、牛タンシチュー


らぶ!
牛タン大好き森さんは終始大興奮でした!(≧艸≦)ブッ
で、タクシーでおばさんのお家に行き、一泊しました(o`・ω・)ゞ
着いたのが遅かったので、少しお話ししてすぐに寝ました(´д⊂)‥
して、次の日自分のヤボ用を済ませて
マミーがヤボ用真っ最中におばさん&おじさん(おばさんの息子さん)と
買い物がてらドライブに(´∀`)
見せたいものがあるとおじさんが連れていってくれた先は被災地でした。
おじさん達も被害にあったのですが、高速道路が海の水をとめる役割をはたしてくれて、
階段などが壊れたりはしましたが、家が流されたりはしませんでした。
被災地というのは、高速道路の向こう側。
つまり、海の方です。
おじさん達の家からそんなに離れていない距離なのに、高速道路をぬけ、しばらく走ると別世界でした。
何もない、だだっ広い空間に
ぽつり、ポツリと、家だったようなものや、工場らしきものがありました。
一部残っていたその建物達は、半壊した家、土台だけが残された家などでした。
そんな建物も数える程しかなく、重機と、痩せ細った松の木があるだけでした。
一年半以上経った今でも災害の凄まじさが残っていました。
車がいくつか積み上げられていたのですが、
『災害からしばらく経っても、
今あるこの車よりもたくさんの車とガレキが積み上げられていたんだよ』
と、おじさんが教えてくれました。
ここで、たくさんの方が亡くなり今も行方不明なんだとおばさんは言い、手を合わせていました。
私はただただ、おばさんと同じように手を合わせることしかできませんでした。
おじさんは最後に『見せられる程度まで片付いていてよかった』
と言っていました。
正直、複雑な思いでした。
こんなに月日が経っても、ニュースなどでやっているように今も問題は山積していて、
現地に行ってみて、おばさん達の話を聞いて、そのニュースだけでは報道しきれない様々な問題があるのだろうと
思いました。
あの光景を写真におさめることもできましたが、私は目と心に焼き付けることにしました。
なので写真はありません。
実際にみて、肌で感じることが大切なのではないかと思ったからです。
なので、ここでは私が目で見たことだけをお伝えしました。
実際に津波を体験したわけでもない私が、あれこれ述べるのはどうかとも思ったのですが、書いてしまいました。
不愉快な思いをした方、本当に申し訳ありません。
今回、初めて宮城県に行きましたが、人の温かさにとても癒されました。
この温かさが嬉しくて、私は心が本当に温かくなりました。
それを伝えたくて、感謝したくて、書きました。
ありがとうございました。
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はい、答え発表のお時間です(´∀`)
っと、その前に正解者発表ですねヽ(*´▽)ノ♪
今回の正解者はー!!!!!!
8人中3人でした☆
☆洋☆さん、
Masaさん、
ぴぃさんでしたー(*´∇`*)
おめでとうございます

そうです、私は宮城県の仙台市に行っていました(o`・ω・)ゞ
皆さん、よくわかりましたね!\(◎o◎)/
今回仙台に行ったのは、旅行って感じではなく
家庭の事情と言いますか…なんと言いますか…(~・_・)
チビたんをゆーばに預けて、
ママンと二人で仙台にいるおばさん(ゆーばのお姉さん)のお家に行ったのですよ!
まぁ、野暮用ですね!ヤボ用(~・_・)
6時間近くバスに揺られ、17時間の滞在で
また6時間バスに揺られて帰宅でした(´;ω;`)
ハード&お尻痛す(´;ω;`)
なぜか左だけ痛かったです(~・_・)
仙台について、マミーと晩御飯

それはもちろん!
牛タン(≧∀≦)







厚切り牛タン様に、
牛タンスープ、
麦ご飯、
大量のおつけもの!!!!!!
神!
して、牛タンシチュー



らぶ!
牛タン大好き森さんは終始大興奮でした!(≧艸≦)ブッ
で、タクシーでおばさんのお家に行き、一泊しました(o`・ω・)ゞ
着いたのが遅かったので、少しお話ししてすぐに寝ました(´д⊂)‥
して、次の日自分のヤボ用を済ませて
マミーがヤボ用真っ最中におばさん&おじさん(おばさんの息子さん)と
買い物がてらドライブに(´∀`)
見せたいものがあるとおじさんが連れていってくれた先は被災地でした。
おじさん達も被害にあったのですが、高速道路が海の水をとめる役割をはたしてくれて、
階段などが壊れたりはしましたが、家が流されたりはしませんでした。
被災地というのは、高速道路の向こう側。
つまり、海の方です。
おじさん達の家からそんなに離れていない距離なのに、高速道路をぬけ、しばらく走ると別世界でした。
何もない、だだっ広い空間に
ぽつり、ポツリと、家だったようなものや、工場らしきものがありました。
一部残っていたその建物達は、半壊した家、土台だけが残された家などでした。
そんな建物も数える程しかなく、重機と、痩せ細った松の木があるだけでした。
一年半以上経った今でも災害の凄まじさが残っていました。
車がいくつか積み上げられていたのですが、
『災害からしばらく経っても、
今あるこの車よりもたくさんの車とガレキが積み上げられていたんだよ』
と、おじさんが教えてくれました。
ここで、たくさんの方が亡くなり今も行方不明なんだとおばさんは言い、手を合わせていました。
私はただただ、おばさんと同じように手を合わせることしかできませんでした。
おじさんは最後に『見せられる程度まで片付いていてよかった』
と言っていました。
正直、複雑な思いでした。
こんなに月日が経っても、ニュースなどでやっているように今も問題は山積していて、
現地に行ってみて、おばさん達の話を聞いて、そのニュースだけでは報道しきれない様々な問題があるのだろうと
思いました。
あの光景を写真におさめることもできましたが、私は目と心に焼き付けることにしました。
なので写真はありません。
実際にみて、肌で感じることが大切なのではないかと思ったからです。
なので、ここでは私が目で見たことだけをお伝えしました。
実際に津波を体験したわけでもない私が、あれこれ述べるのはどうかとも思ったのですが、書いてしまいました。
不愉快な思いをした方、本当に申し訳ありません。
今回、初めて宮城県に行きましたが、人の温かさにとても癒されました。
この温かさが嬉しくて、私は心が本当に温かくなりました。
それを伝えたくて、感謝したくて、書きました。
ありがとうございました。
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