お久しぶりです。
もりかなです。
試験まで残すところ、あと7日。
ずっとblogを書けていなくてすみません。
今までの経緯を3月3日の最後の模試を終えたら書くつもりでした。
でも、その報告blogを書けなくなるほど辛い出来事が起きてしまいました。
ここから先はとても長い文章です。
読み疲れてしまうかと思うので、お暇があるときに読んでいただけたら嬉しいです。
それは、3月3日の16時頃のことです。
この日は国家試験試験本番までの最後の模試の日でした。
試験を終えて、携帯を見ると着信履歴が3件。
相手はママ。
私が今日模試だとわかっているはずなのに、模試の時間中に電話がきていました。
すごくイヤな予感がし、すぐにかけ直しました。
というのも、いつものママなら模試中だとわかっていて、わざわざ電話なんてかけないはずだからです。
電話に出たママは泣きながら何度も私に謝りました。
正直、何が起きたかわかりませんでした。
なに?なんなの?
『…カムが死んだ』
カムというのは、私のペット。
セキセイインコです。
4年3ヶ月前、家のベランダに突然現れた私の可愛い家族です。
私はママの言葉を理解できなかった。
何も言葉が出なかった。
何分無言で固まったかわからなかった。
『早く帰ってきて』
ママのその言葉を聞いて我にかえりました。
涙を堪えながら、模試の採点をして帰宅の準備をしました。
しかし、いざ帰るとなると、
『早く帰ってきて』と言われたものの、私の足は一歩も家へ進みませんでした。
帰ってしまったら、会ってしまったら、カムが死んだことが事実になってしまうからです。
私はカムの姿を見ていない。
私の頭に浮かぶカムは、元気に飛び回って、私の所にやってくるカムの姿だけ。
冷たくなって固まった、動かないカムをみていない。
その姿を見ていない今、ママの放った言葉は何かの冗談に思えたんです。
カムに会わなければ全て嘘で終わるんじゃないか?
なんて思い始めたら、足が動かなかったんです。
でも、友人に『帰ってあげな。やってあげることはたくさんあるでしょう?』と背中を押され、
帰ることにしました。
電車の中で人目も気にせず、ただただ涙を流しつづけました。
頭の中には、以前飼っていたインコ達の死と、カムとの思い出が交互に浮かびました。
私は試験のために、大学の開く9時から大学が閉まる21時まで学校にいて、勉強をする生活を送っています。
電車に乗って、一時間かけて学校に行くよりも、大学からすぐ近くの友人の家にいたほうが効率がいいので、ずっと友人の家から大学へ行くという毎日でした。
だから、カムのお世話はママ達に任せていたんです。
すごくすごく後悔しました。
私が家にいたら、カムの異変に気づけたのに…
なぜカムの傍にいなかったのか…
たくさんのことを後悔し、自分を憎みました。
カムが死ぬ前の日、友人が風邪をひいたので、『うつるといけないから、明日は家に帰る』とママに連絡を入れたのです。
あの時、カムの様子を電話で聞けば…
それよりもあの日、次の日試験で朝早いからって友達の家に泊まらずに、素直にあの時点で帰れば…
カムは今、私の部屋でいつもみたいにうるさく可愛く鳴いていたんじゃないかと思うと、今でも自分を憎まずにいられないんです。
家に帰り、冷たくなったカムを抱き上げ、私は謝りながら泣く以外何もできませんでした。
何時間もそのまま泣いて、ママに謝られ、ママのせいじゃない!と、言うので精一杯でした。
実際、ママに世話任せる形にした私が悪い。
他の誰でもなく、私が。
だからママを責めるつもりもなければ、そんな権利も私にはないんです。
その後、友人のアドバイスを思い出し、火葬してくれる所を探し、お願いしました。
火葬にすると私が言い出した時、ママはとても驚いていましたが、『あんたの気持ちがそれだけあるってことなのね。すきにしなさい。』と言っていました。
以前飼っていたインコ達の時には、こんな小さなインコ達でも火葬できるなんて知らなかったのですが、友人から教えてもらったのでカムは火葬にしたんです。
少しでも、カムのカケラが欲しかったという私のわがままです。
家の中にはカムとの思い出がたくさんで、今ここにいるのが正直辛いです。
私が帰ると、大きな声で鳴いていました。
部屋に入ると、カムはさらに大きな声で私を呼びます。
朝はベランダによく来るスズメとお話しをしていました。
私がドライヤーで髪を乾かすと、ドライヤーと競って大きな声で鳴いていました。
鳥かごから出すと、いつも私の肩へ来ておしゃべりしてくれました。
口の中へ入ってきたり、キスしてくれたり、水道の蛇口のひねった音と競ったり…
いつも、笑わせてくれて、癒してくれて、最高に愛おしい家族です。
ずっとかまってあげられなかったから、試験が終わったら、たくさん遊んであげよう。
そんなことを思っていた矢先の出来事でした。
悔しくて、悔しくて、情けなくてたまりません。
私のような飼い主でなければカムはもっと幸せだったに違いないと毎日思います。
そして、ただただ、ごめんねと心の中で何度も言うことしかできない自分に腹が立ってしまいます…
カムと過ごした時間は4年3ヶ月。
まだまだ何年も一緒だと思っていました。
朝起きても、カムとスズメの話し声は聞こえないし、部屋に行っても、あの可愛い声と姿はない。
自分の部屋に行くことが何よりも憂鬱でしかたないんです。
いつもあったものがないのが、こんなにも切なくて、苦しいものなんだと改めて感じています。
カムとの出会い、飼うまでの経緯はこのblogで一度に書ききれないものです。
それ故にこんなにも悲しいのですが、またいつかお話しできたら。と思っています。
そして肝心の試験については、200点満点のうち120点が合格ラインなのですが、
2月8日の学内模試では、104点。
この学内模試は最後の授業単位にも関連していて、合格点に達さないと、最後の単位がもらえないうえに、国家試験をうける許可がもらえないんです。
国家試験を受ける許可をもらえないということは、大学を卒業しても、今年も来年以降も、国家試験を受けることはできないんです。
その重要な試験で、合格ラインの120点に達することはできなかったのですが、授業で提出するレポート点も加算されます。
とは言え、私の成績ではレポート点を足しても、おそらく厳しい点数だったはずですが、今年に入り、この一ヶ月ほどで30点も点数をあげたことと、毎日学校に来て勉強している姿をみてくださってる先生方が配慮して下さり、なんとかこの授業の単位を頂くことができました。
4年間、授業はまともにでていたので卒業単位は足りていましたが、この授業の単位をもらえないと、4年間通っていた意味がなくなってしまうのです。
そんなこんなで周りの方々の支えもあり、国家試験の受験資格を得たのですが、前回の試験から10日後の2月18日の模試では110点と伸び悩みました。
そして、さらに一週間後の試験では147点と合格圏内に入ることができました。
1月からようやく本腰を入れて勉強をしたら、6、70点ほど上がりました。
早く始めていればもっと余裕があったのに。と後悔する日々です。
しかし、停滞期に入り気持ちも落ち込んでいた頃、最後の模試である、3月3日をむかえました。
結果は109点。
見事に転落。
この調子では受からない。
わかってはいつつも、カムの死などの精神的ダメージで数日苦しみました。
カムの死のせいで落ちたなんて言いたくないし、思われたくない!
カムの死は関係ない!きっとカムも応援してくれてる!
と、何度も言い聞かせながら勉強をしています。
昨日、blogのコメントが入りblog書いてないのになぁ…と思いつつ開くと、心が苦しくなるような内容でした。
ないことを言われるのをいちいち気にしてはいけないのはわかっています。
しかし『本当は勉強なんかしてないんじゃないか?』この言葉は今の私には正直辛いです。
他に言われたことについては、別にいいです。気にしません。
でも『勉強してない』これだけは言われたくありません。
私が受験資格を得るために不安で毎日泣きながら勉強したことも、
勉強でいっぱいいっぱいでカムの異変に気づけなかったことも、
全ては自分の責任です。
ですが、こんな最悪の事態になってしまうほど、必死に勉強していたのは事実です。
こんな生活を送る日々にならなければカムは…と思う気持ちを抑えて毎日を過ごしている今の私にその言葉は堪えます…。
でも、皆様から応援メッセージやコメントをみていたら、前向きにならなきゃいけないなと思えました。
ありがとうございます。
残りの数日を後悔しないように、さらに集中して頑張ります。
長々と書いてしまいすみません。
全くまとまりもなく、読みにくいblogですが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
久々にblogを書いたというのに暗い内容になってしまい、本当にごめんなさい。
このblogでカムは何度か出てきていたので、ちゃんとお知らせしたかったんです。
数日後、笑顔で戻れるように頑張ってまいります!!
でわ。
もりかなです。
試験まで残すところ、あと7日。
ずっとblogを書けていなくてすみません。
今までの経緯を3月3日の最後の模試を終えたら書くつもりでした。
でも、その報告blogを書けなくなるほど辛い出来事が起きてしまいました。
ここから先はとても長い文章です。
読み疲れてしまうかと思うので、お暇があるときに読んでいただけたら嬉しいです。
それは、3月3日の16時頃のことです。
この日は国家試験試験本番までの最後の模試の日でした。
試験を終えて、携帯を見ると着信履歴が3件。
相手はママ。
私が今日模試だとわかっているはずなのに、模試の時間中に電話がきていました。
すごくイヤな予感がし、すぐにかけ直しました。
というのも、いつものママなら模試中だとわかっていて、わざわざ電話なんてかけないはずだからです。
電話に出たママは泣きながら何度も私に謝りました。
正直、何が起きたかわかりませんでした。
なに?なんなの?
『…カムが死んだ』
カムというのは、私のペット。
セキセイインコです。
4年3ヶ月前、家のベランダに突然現れた私の可愛い家族です。
私はママの言葉を理解できなかった。
何も言葉が出なかった。
何分無言で固まったかわからなかった。
『早く帰ってきて』
ママのその言葉を聞いて我にかえりました。
涙を堪えながら、模試の採点をして帰宅の準備をしました。
しかし、いざ帰るとなると、
『早く帰ってきて』と言われたものの、私の足は一歩も家へ進みませんでした。
帰ってしまったら、会ってしまったら、カムが死んだことが事実になってしまうからです。
私はカムの姿を見ていない。
私の頭に浮かぶカムは、元気に飛び回って、私の所にやってくるカムの姿だけ。
冷たくなって固まった、動かないカムをみていない。
その姿を見ていない今、ママの放った言葉は何かの冗談に思えたんです。
カムに会わなければ全て嘘で終わるんじゃないか?
なんて思い始めたら、足が動かなかったんです。
でも、友人に『帰ってあげな。やってあげることはたくさんあるでしょう?』と背中を押され、
帰ることにしました。
電車の中で人目も気にせず、ただただ涙を流しつづけました。
頭の中には、以前飼っていたインコ達の死と、カムとの思い出が交互に浮かびました。
私は試験のために、大学の開く9時から大学が閉まる21時まで学校にいて、勉強をする生活を送っています。
電車に乗って、一時間かけて学校に行くよりも、大学からすぐ近くの友人の家にいたほうが効率がいいので、ずっと友人の家から大学へ行くという毎日でした。
だから、カムのお世話はママ達に任せていたんです。
すごくすごく後悔しました。
私が家にいたら、カムの異変に気づけたのに…
なぜカムの傍にいなかったのか…
たくさんのことを後悔し、自分を憎みました。
カムが死ぬ前の日、友人が風邪をひいたので、『うつるといけないから、明日は家に帰る』とママに連絡を入れたのです。
あの時、カムの様子を電話で聞けば…
それよりもあの日、次の日試験で朝早いからって友達の家に泊まらずに、素直にあの時点で帰れば…
カムは今、私の部屋でいつもみたいにうるさく可愛く鳴いていたんじゃないかと思うと、今でも自分を憎まずにいられないんです。
家に帰り、冷たくなったカムを抱き上げ、私は謝りながら泣く以外何もできませんでした。
何時間もそのまま泣いて、ママに謝られ、ママのせいじゃない!と、言うので精一杯でした。
実際、ママに世話任せる形にした私が悪い。
他の誰でもなく、私が。
だからママを責めるつもりもなければ、そんな権利も私にはないんです。
その後、友人のアドバイスを思い出し、火葬してくれる所を探し、お願いしました。
火葬にすると私が言い出した時、ママはとても驚いていましたが、『あんたの気持ちがそれだけあるってことなのね。すきにしなさい。』と言っていました。
以前飼っていたインコ達の時には、こんな小さなインコ達でも火葬できるなんて知らなかったのですが、友人から教えてもらったのでカムは火葬にしたんです。
少しでも、カムのカケラが欲しかったという私のわがままです。
家の中にはカムとの思い出がたくさんで、今ここにいるのが正直辛いです。
私が帰ると、大きな声で鳴いていました。
部屋に入ると、カムはさらに大きな声で私を呼びます。
朝はベランダによく来るスズメとお話しをしていました。
私がドライヤーで髪を乾かすと、ドライヤーと競って大きな声で鳴いていました。
鳥かごから出すと、いつも私の肩へ来ておしゃべりしてくれました。
口の中へ入ってきたり、キスしてくれたり、水道の蛇口のひねった音と競ったり…
いつも、笑わせてくれて、癒してくれて、最高に愛おしい家族です。
ずっとかまってあげられなかったから、試験が終わったら、たくさん遊んであげよう。
そんなことを思っていた矢先の出来事でした。
悔しくて、悔しくて、情けなくてたまりません。
私のような飼い主でなければカムはもっと幸せだったに違いないと毎日思います。
そして、ただただ、ごめんねと心の中で何度も言うことしかできない自分に腹が立ってしまいます…
カムと過ごした時間は4年3ヶ月。
まだまだ何年も一緒だと思っていました。
朝起きても、カムとスズメの話し声は聞こえないし、部屋に行っても、あの可愛い声と姿はない。
自分の部屋に行くことが何よりも憂鬱でしかたないんです。
いつもあったものがないのが、こんなにも切なくて、苦しいものなんだと改めて感じています。
カムとの出会い、飼うまでの経緯はこのblogで一度に書ききれないものです。
それ故にこんなにも悲しいのですが、またいつかお話しできたら。と思っています。
そして肝心の試験については、200点満点のうち120点が合格ラインなのですが、
2月8日の学内模試では、104点。
この学内模試は最後の授業単位にも関連していて、合格点に達さないと、最後の単位がもらえないうえに、国家試験をうける許可がもらえないんです。
国家試験を受ける許可をもらえないということは、大学を卒業しても、今年も来年以降も、国家試験を受けることはできないんです。
その重要な試験で、合格ラインの120点に達することはできなかったのですが、授業で提出するレポート点も加算されます。
とは言え、私の成績ではレポート点を足しても、おそらく厳しい点数だったはずですが、今年に入り、この一ヶ月ほどで30点も点数をあげたことと、毎日学校に来て勉強している姿をみてくださってる先生方が配慮して下さり、なんとかこの授業の単位を頂くことができました。
4年間、授業はまともにでていたので卒業単位は足りていましたが、この授業の単位をもらえないと、4年間通っていた意味がなくなってしまうのです。
そんなこんなで周りの方々の支えもあり、国家試験の受験資格を得たのですが、前回の試験から10日後の2月18日の模試では110点と伸び悩みました。
そして、さらに一週間後の試験では147点と合格圏内に入ることができました。
1月からようやく本腰を入れて勉強をしたら、6、70点ほど上がりました。
早く始めていればもっと余裕があったのに。と後悔する日々です。
しかし、停滞期に入り気持ちも落ち込んでいた頃、最後の模試である、3月3日をむかえました。
結果は109点。
見事に転落。
この調子では受からない。
わかってはいつつも、カムの死などの精神的ダメージで数日苦しみました。
カムの死のせいで落ちたなんて言いたくないし、思われたくない!
カムの死は関係ない!きっとカムも応援してくれてる!
と、何度も言い聞かせながら勉強をしています。
昨日、blogのコメントが入りblog書いてないのになぁ…と思いつつ開くと、心が苦しくなるような内容でした。
ないことを言われるのをいちいち気にしてはいけないのはわかっています。
しかし『本当は勉強なんかしてないんじゃないか?』この言葉は今の私には正直辛いです。
他に言われたことについては、別にいいです。気にしません。
でも『勉強してない』これだけは言われたくありません。
私が受験資格を得るために不安で毎日泣きながら勉強したことも、
勉強でいっぱいいっぱいでカムの異変に気づけなかったことも、
全ては自分の責任です。
ですが、こんな最悪の事態になってしまうほど、必死に勉強していたのは事実です。
こんな生活を送る日々にならなければカムは…と思う気持ちを抑えて毎日を過ごしている今の私にその言葉は堪えます…。
でも、皆様から応援メッセージやコメントをみていたら、前向きにならなきゃいけないなと思えました。
ありがとうございます。
残りの数日を後悔しないように、さらに集中して頑張ります。
長々と書いてしまいすみません。
全くまとまりもなく、読みにくいblogですが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
久々にblogを書いたというのに暗い内容になってしまい、本当にごめんなさい。
このblogでカムは何度か出てきていたので、ちゃんとお知らせしたかったんです。
数日後、笑顔で戻れるように頑張ってまいります!!
でわ。