食事が
だんだんとれなくなってきたら
ご家族を呼んで
説明し、
「胃ろうや
中心静脈栄養という方法が
ありますが
どうしますか」
と尋ねます。
どちらも選ばない‥となったら
「口から食べられるところまで」
「そこから先は寿命」
ということになります。
少しでも食べてもらいたいので
「何か本人のお好きなものを
持ってきてください」
とお話しします。
何を持ってきたらいいかわからない、
という方には
「プリンをお持ちください」
とお話しします。
形状が食べやすく
卵なので
少しでもタンパク質が摂れるなかあ~、と。
わたしが
自分の父に最期に会ったとき
持って行ったのもプリンでした。
そしてプリンをみるたび
「プリンが食べたいなあ」
と口癖のように言いながら
旅立ってしまった患者さんを
思い出すのです。
今だったら
「プリン食べていいよ!」
とプリンを持ち込むところですが
当時はまだぺーぺーの研修医。
わたしには
何の決定権もありませんでした。
今でもあの人に
ひとくち食べさせてあげたかったなあと。
先日も
「プリン持ってきてね」
と息子さんにお願いして
プリンを
用意してもらった方がいました。
でも
わたしが思っていたより
病気の進行が早く
お忙しい息子さんがプリンを
持ってきてくれた時には
もう食べられなくなっていました‥。
「いいよ、いいよ。
このプリン、先生が食べて!」
と息子さんがくださったプリン、
とても
甘くて切なくて悲しい味がしました。
また
プリンを見るたび
思い出してしまいそうです‥。