二本松市智恵子記念館に行く(高村智恵子レモン祭)・・・の巻10/7 | 乾パンのブログ

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10月7・8日は福島県二本松市に行って二本松提灯祭りを見学しましたがパー

10月7日は二本松市油井にある二本松智恵子記念館(智恵子の生家)に寄り道しました。

 

 

10月5日は高村智恵子の命日・・・

10月は「レモン祭」と称して智恵子の生家2階公開(智恵子が住んでいた居間)とのこと。

コリャ行かなきゃねぇにひひ

 

 

旧(近世)奥州街道。

交通量少なく当時の面影が微かに感じさせます。

コレはチョベリグです!!

 

 

智恵子の実家(長沼家)は造り酒屋ってのは知ってましたがお米屋さんもやってたんだえっ

まぁ米と日本酒は切っても切れない縁ですけんね。

 

 

入場料410円。

 

 

当時の裏口から入ります走る人

 

 

大きな家ですね。

こう見ると1階は商売のオープンスペース。

2階は家族・職人さん・女中さんが寝起きするパーソナルゾーン。

 

但し・・・職人さん(男性)・女中さん(女性)・家族でそれぞれ2階に上がる階段が別で

互いに直接行き来できないような構造になっているのがさすがです。

 

 

高村光太郎・智恵子の顔出し立て看板に実際の2人の顔が付いてましたにひひ

 

 

では2階に昇ります走る人

階段箪笥は日本家屋独特の構造ですラブラブ

 

 

ここが智恵子が暮らしていた居間とのこと。

九畳間と一畳分の押入。

恐らく智恵子と妹達の居間だと思う。

窓は東向き。

 

 

福島高等女学校の卒業写真カメラ

この中に智恵子がおります。

 

明治時代の女学生の制服は袴だったんですね。

セーラー服が女学生のナウい制服として大流行するのは大正時代になってから・・・

 

 

こちらは智恵子の家族が住んでいた居間。

南向きの奥州街道添いに大きな窓があって・・・この家で一番良い部屋であることが分ります。

右手(北側)に小さな窓がありますが・・・

 

 

仕事場である帳場(勘定場)が見下ろせて、

主人は居間に居ながら雇員がどんな仕事をしているのか

一目瞭然な構造となっています。

 

 

この住宅は実際に智恵子の暮らしていた生家なのかはてなマークですが、

当時の建物を奥州街道から1m程曳家して離したそうです。

ってなわけで実際に智恵子が住んでいた建物・・・ということは確かなようです。

 

 

日本家屋の階段は狭くて急勾配ですあせる

 

 

ここが番頭さんなんかが接客する帳場。

時代劇の商家でお馴染みですベル

 

 

帳場から見たたたき。

左上の2階窓が主人が住む居間。

番頭さんは主人に見張られながら仕事していたことが分りますな叫び

 

 

床の間のある奥座敷グッド!

お得意さん(身分の高い人)の接客スペースであります。

 

 

当時の位置図を見ると智恵子の生家の裏手には米倉があって

庭園(池)はもう少し東側にあったみたい。

 

 

じゃぁ智恵子記念館も入って見ました。

智恵子が統合失調症を患ってから晩年に造ったという切り絵が多数展示ベル

折り紙は光りに当たると劣化するそうで定期的に入れ替わり展示らしい。

この場所にはかつて酒蔵があったとのこと日本酒

 

 

この週末(3連休)は二本松提灯祭りグッド!

ココにもお囃子の響きが聞こえてきます音譜

 

~~~~~~~~

 

今回初めて智恵子の生家の裏手にある智恵子の杜公園にいってみました走る人

 

 

良く整備された小径となっています。

 

 

八幡神社。

福島県には清和源氏由来の八幡様が多いですな。

 

 

「愛の小径」をトコトコ登ります走る人

智恵子は高村光太郎と同棲し始めても年に3~4ヶ月は実家に療養に帰っていた。

(結核持ちだったんですね。)

 

光太郎も時々付いてきて・・・

智恵子の案内で実家の裏手の鞍掛山まで2人で散策に出かけたそうですドキドキ

 

 

山頂付近にある展望台。

 

 

そこで光太郎が詠んだ詩。

 

樹下の二人

 ――みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ――

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。

あなたは不思議な仙丹を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉へがたい
妙に変幻するものですね。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

大正十二・三

 

あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」と智恵子が光太郎に案内いたのが

光太郎にとって印象に残ったようです。

 

智恵子と光太郎の語らい・・・ということで、

智恵子は東京に空が無いといふ」の「あどけない話」と対になる詩。

 

但し「あどけない話」は東京での会話であったのに

「樹下の二人」は安達太良山と阿武隈川が見える場所での会話。

 

 

僅かに阿武隈川が眼下に望めますグッド!

上矢印写真の真ん中に微かに見えます目

 

 

こちらは安達太良山。

残念ながら雲に覆われてましたくもり

 


上矢印は翌8日に二本松城本丸から眺めた安達太良山富士山

雄大な山です。

 

郷土(あだたら)の自然を愛した高村智恵子。

こりゃ地元に人に人気あるのもよく分かります。

 

P.S.

 

二本松城の本丸から2つの市街地を望むことが出来ますベル

 

 

こちらは17世紀中盤に丹羽光重が築いた新市街地(JR二本松駅や市役所がある方)

本町・亀谷・松岡・若宮。

 

 

こちらは旧市街地。

竹田・根崎・郭内。

 

領民に敬神の意を高揚させるために丹羽光重が初めた御両社祭礼が

二本松提灯祭りの発端・・・だそうだけどそんな小難しい事では無く、

新旧2つの離れた市街地に住む領民の融和の為に

御殿様が始めた祭り・・・だったんじゃないかなはてなマーク