今回の東京宝塚歌劇観劇遠征のついでで・・・
江古田原・沼袋の戦いの古戦場跡の散策に寄り道しました。
江古田原・沼袋の戦いは1477年(文明九年)に起こった、太田道灌VS豊島泰経・泰明兄弟の戦い。
扇谷上杉家と山内上杉家の対立から生じた、扇谷家家宰の道灌と山内家に与力した豊島氏の合戦。
結果とすれば太田道灌の巧みな戦術によって、豊島泰明始め豊島氏有力家臣の多くが討ち死
武蔵の国人領主豊島宗家はこの戦いで一挙に滅亡という事態になりました。
太田道灌は江戸城を最初に築いた武将として有名。
非常に有能な人物であったようですが、
それ故に下克上に怯えた主君上杉定正によって暗殺される運命にあります。
高田馬場駅でE電から西武新宿線に乗り換えると普通本川越行に乗って沼袋駅で下車。
どうやら仮駅舎で工事中の模様。
駅の直ぐ南側に妙正寺川が流れていますが・・・どうやら昔のこの辺りは湿地帯で沼地だった模様。
それにしても狭くて深い川ですな。
へ~・・・中井駅~野方駅間は地下化するんか
確か・・・昭和後期にも西武新宿線地下化構想があったと思い出されます。
何でもこの近辺の地下水位が想定された水位よりも数十センチだか1mだか浅かったそうで・・・
それだけでも工事費用が2倍に跳ね上がるために西武鉄道は工事を断念した・・・だったはず。
今更かよ・・・ですが、
今は東京都が費用面で全面的にバックアップするそうで、良い世の中になったモンです
東京都はお金持ちですからね
南側ホームから降りて北側に踏切を渡ろうとしたら・・・
西武新宿行→特急本川越行→急行本川越行→(乗ってきた)普通本川越行→西武新宿行、と
列車5本分、7~8分近く待たされました
休日朝でこれだったら平日朝は開かずの踏切でしょうねぇ
駅近くにある沼袋氷川神社。
妙正寺川の河岸段丘の上にあります。
お~・・・茅の輪潜りがありますな。
この輪っかをある決められた潜り方をすると無病息災になるそうです。
沼袋氷川神社の本殿は1990年(平成二年)に
革共同中核派の時限発火装置を用いた放火で全焼したんですな
現在の本殿は翌1991年に再建されたモノ。
当時は平成天皇の即位の礼や大嘗祭が行われた時期で
90年天皇・三里塚決戦を称える中核派等は短期間に
100件以上の放火・爆発物を用いた武力実力闘争を展開するという今では考えられない状況でした。
なぜだか神社仏閣もテロル対象になって全国の寺社が時限発火装置で焼失。
いくら何でもやりすぎだよなぁ・・・と当時の私も感じましたもんな。
今では主義・主張のために寺社を放火して全焼させたら大騒ぎだわなきっと
この神社は江古田原・沼袋の戦いの際に太田道灌勢が陣を張った場所とのこと。
神社って境内が適度に広いし集合場所に最適なのは今も昔も変わらないと思います。
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沼袋氷川神社から江古田公園に向かって散策
こういう狭い路地の散策が大好きです
2階に腰掛窓と勾欄を備えた木造の日本家屋あり。
1階にシャッターあるし何らかの商店だったのか
この道は古道だったんでしょうな。
妙正寺川と古江古田川の合流点、いわゆる落合ですか。
この場所に史跡江古田ケ原沼袋古戦場の石碑があります。
この辺りが実際の激戦地だったとのこと。
このような河川の合流点は・・・昔は大雨降ったら氾濫必至の場所
昔から低地で湿地帯だったようです。
練馬城(豊島園駅前)もしくは平塚城(上中里駅前)に籠もる豊島勢に対して
太田道灌勢は少数の兵力を持って敵前で挑発
挑発に乗ってこの沼袋の低地に誘き出された豊島勢を、
(予めこの地に多数の伏兵を配置させていた)太田道灌勢が包囲殲滅した・・・らしい。
都木であるイチョウが綺麗だなぁ
今は緑豊かな純然たる住宅地である武蔵野台地も・・・
かつては関東ロームに覆われた不毛の原野だったんですけどね
様々な偶然により首都になった武蔵国ですが・・・
もし名古屋か大坂辺りが日本の首都になっていたら・・・この場所はどんな風景になっていたのかな
新青梅街道を東に進みますが・・・新青梅って上下1車線道路だったんだ
無人となり解体再開発を待つ(かつて大流行した)住宅公団型アパート
建築当初は最新鋭だったRC構造の総合住宅も50年を経てば老朽化しますからね
エレベーター無しの4階建てアパートも30代40代だったら普通に階段を駆け上る事が出来ます。
でも70代80代になれば・・・4階で生活することは困難ですからなぁぇ
野方配水場の配水塔。
1929年(昭和四年)建設のCO構造物。
様式美を感じます。
いわゆるナウいチョベリグのインスタバイ感じさせる風景です
アールデコ的でもありますがゴチック調も感じる素晴らしいRC構造物なのであります
コレはエラいですよ
テクテクと市街散策
蔦が絡まる古いアパートあり
高橋留美子先生の「めぞん一刻」的世界と言いましょうか・・・・
親と同居していた高校生時代は・・・例え風呂無し便所・炊事場共同の四畳半アパートも
一人暮らしは夢の世界だったんだよなぁ
この辺りは平坦な場所はほとんど無くて高低差のある台地であることを実感
マクロ的にはただっぴろぇ関東平野も、ミクロ的には高低差が実に激しい
こんな場所をよくぞ首都にしたもんだぜ
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練馬城散策のために都営地下鉄大江戸を使って豊島園に移動
西武鉄道(株)の豊島園駅。
訪れるのは・・・昭和50年代以来だから40年振りかなぁ
遊園地である豊島園は閉園してしまいました
中坊時代は・・・友達とプールによく通ったよなぁ
バリケードの隙間から眺めた豊島園正門・・・懐かしいなぁ
豊島園にはかつて練馬城がありました。
国人領主豊島氏の本拠地であった石神井城の支城であります。
練馬城跡を赤丸で囲んでありますが石神井川の河岸段丘崖であります。
なお・・・右下の緑丸が江古田原沼袋古戦場の石碑があった場所。
武蔵野台地って地形が複雑であることを実感出来ますな。
西武鉄道豊島園駅から住宅地を進んで・・・
この凹地がかつての練馬城の外堀跡だと思われます。
そもそもは自然のハケ(崖線)をそのまま外堀として利用したのだと
向山庭園の場所はかつての練馬城の外堀跡でしょうな。
微妙な高低差を感じつつ歩くってのが市街地散策の醍醐味であります
石神井川側から見たかつての練馬城跡。
かつての豊島園の一部はハリーポッターのアミズメントパ-クになるそうですが、
大部分は防災施設としての練馬城址公園として再利用されるそう。
そうなったらまた訪れたいです
西武鉄道の豊島園駅ホーム。
現在は1線しか実質使われませんが昔は3線揃えた堂々たる末端型ターミナルだったようです。
そう言えば私の少年時代は・・・西武鉄道池袋線に池袋駅発準急豊島園行きがあったンですけどね。