守山城跡を散策する・・・の巻 | 乾パンのブログ

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ん前の土曜日ですが・・・福島県郡山市田村町守山にある守山城跡の散策に出かけました走る人

前々から行ってみたいとは思っていましたがね・・・チャンスがなくて。

土曜日は天気が崩れるとの予報だったので、その前(AM)にちょっとだけ散策しようと思い立ちました。

 

 

上矢印守山城についてはココにも述べさせて頂きました。

 

この場所はかつての福島県田村郡田村町ですが、中世から統治者の変遷が非常に激しい場所あせる

詳細は述べませんが・・・

 

坂上氏系田村氏→源頼朝の奥州侵攻で滅亡

藤原氏系田村氏(田村庄司家)→南北朝動乱で南朝方に付いたので滅亡

平氏系田村氏(三春田村家)→豊臣秀吉の奥州仕置で改易

 

安土桃山時代にはこの場所は会津藩の勢力圏下に入りますが、

それでも守山城は蒲生氏→上杉氏→蒲生氏、の支城として次々と城主が交替し、

最終的には江戸初期の一国一城令により廃城ガーン

 

その後に水戸藩(水戸徳川氏)の支藩としての守山藩が成立し、

守山宿に陣屋を構えるに到り、明治維新まで存続したという訳。

守山藩は水戸藩の支藩ということで幕末期のいわゆる天狗党に加わる藩士が多く、

その「後始末」にそれはそれは大変だったそうですがね汗

 

 

現在の国道49号線。

いわき~郡山~会津若松~新潟、を結ぶ幹線国道。

かつての越後街道(会津街道)の後継となります。

中世からの幹線街道であり、だからこそ守山城が重要視されたってことですか。

 

 

 

ここが馬出し(枡形虎口)があったと思われる場所。

低くなっている場所がかつての防御用の堀だった跡だと思われます。

 

 

国道から本丸跡へと続く直線道路。

この辺りに大手門があったと思いますなチョキ

 

 

外堀があったと思われる場所ドキドキ

埋め立てられていますが、今でも空き地ってのがやっぱり「何か」がある場所だと伺われます。

 

 

守山城跡の最大の見どころとも言える石積み箇所音譜

城自体は破却されたはずなのに・・・よくぞ残っていたもんだぜ。

戦後になって発掘されるまでは水田として埋め立てられていたようですが・・・

 

 

郡山市教育委員会の掲示板あり恋の矢

 

 

城跡に神社があるってのも定番ですねひらめき電球

実際に城として機能していた時代から武運長久を願って建立されたんでしょうね。

 

 

この本殿の場所が本丸だったんだろうなぁ

 

 

本丸の下は二の丸。

 

 

石垣の下は三の丸。

 

 

城跡に学校(郡山市立守山小学校)があるってのも定番です。

 

 

地名は・・・田村町守山字三ノ丸ですが・・・誰が見ても城跡ですなぁラブラブ!

 

 

この民家のある崖にも当時の石垣が残されているらしい・・・

 

 

離れて眺めると確かに何らかの防御施設があった場所だと感じますな。

 

 

神社の裏側の河川沿いにも石垣があるそうですが・・・

今では完全な藪でよく分からない。

何処までが公共地で、どこからが私有地だかよく分からない・・・

なかなか散策には難しい場所ですハートブレイク

 

 

今度は旧街道の散策。

仕事ではよく通るのですが、改めて散策するのは初めてです。

 

 

江戸期からの街道でお馴染みの枡形(鍵の手)

今では円滑な交通の邪魔ですがあせる

 

 

如何にも旧道なのが一目で分りますドキドキ

 

 

この辺りに守山藩の陣屋があったとのことですが・・・

面影は何となくありますが、その由来の掲示は全くないなぁしょぼん

 

 

鉄道の駅が町外れになるってのも定番ですな晴れ

 

 

磐越東線の磐城守山駅。

かつては行き違い施設があったんだろうなぁ

今では純然たるローカル無人駅ですがえっ

 

 

石蔵が多いのも旧街道の特徴。

車で走ってもよく分からないんでね。

歩いて散策する魅力を久し振りに体験出来て楽しかったなぁべーっだ!

 

結構、昔の面影が残っていて散策しても新鮮な感動を覚えるのです。