国立歴史民俗博物館に行った帰り道ですが・・・
成田空港周辺の博物館・記念館・歴史館に寄り道しました。
自動車じゃないとなかなか行けない場所なので、今回の散策には自家用車利用です
先ずは、成田市三里塚御料にある三里塚記念公園(三里塚第1公園)へ・・・
綺麗な並木ですね
三里塚御料牧場記念館
現在の成田空港の敷地の30%は、かつては宮内庁下総御料牧場だったそうで
この記念館は御料牧場の事務所だったそうです。
記念館の中は撮影厳禁でしたが、畜産振興の歴史やお召し馬車(意外と小さくて中は狭い)が
展示してあって、興味深かったです。
貴賓館。
表側は純和風っぽい。
宮内庁関連で海外からのお客様を接待していた建物とのこと。
裏側には板張りのホールがあって、一種の和洋折衷の建物のようです。
成田空港の直ぐ近くなので現在でも利用できそうですが・・・
でも風向きなのか、この辺りはジェット機のアイドリング音が激しくて
こんなうるさい場所に来賓客を迎えることは不可だなぁ
戦前期から皇族御用達の牧場が有ったと言うことで・・・太平洋戦争直前に防空壕が造られました。
階段を降りますと・・・
分厚い扉ですね。
中は六畳~八畳間ぐらいかな
かまぼこ型の鉄筋コンクリートで覆われています。
如何にも頑丈っぽいですね。
こんな純農村地帯に空襲などありえなさそうですが・・・念のためですか
無論、実際に使用されることなく、現在までその痕跡を留めています
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次は山武郡芝山町にある航空科学博物館へ・・・
成田空港のAランの直ぐ南側にあります。
内容は・・まぁ普通の航空博物館でしょうかl
ジェット機のエンジンは豊富に展示されていました。
5階の展示室からは成田空港が眺められます
星形空冷エンジンのシステムを展示してあったのが、興味深かったです。
どうやってクランクを回すのか
スムーズに回せないような気がしていました。
シリンダーを間隔を空けて点火していくのか・・・
だから星形エンジンのシリンダーって必ず奇数なのか
納得
屋外には様々な飛行機を展示してありましたが・・・なんと言ってもYS-11だなぁ
日本の誇りです
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んで、航空科学博物館の隣にある、空と大地の歴史館
新しくて綺麗でこじんまりしたミュージアムでした
話には聞いていましたが・・・ディープな内容にビックリ仰天
いわゆる、成田空港反対闘争の歴史について、反対派農民の立場から描いた内容。
日本唯一の過激派博物館と称する人がおりますが・・・言い得て妙と言わざるを得ない。
(反対派農民が過激派ってわけではないのですが・・・)
機動隊がやって来ると鳴らされたというドラム缶。
レプリカだそう
当時使われた実物のヘルメット。
農家に残されたヘルメットを集めたそうです。
少年行動隊の赤旗。
こういうのも残されていたんですねぇ
3.26管制塔占拠事件も大々的に掲示
その後の円卓会議に至る道程も述べられています。
新空港が成田に位置決定された時から、地域と空港の歴史が始まりました。
この間、両者は、激しい対立の時代をのりこえ、共生を実現し、さらに共栄の時代へと進んできました。
地域と空港が重ねてきた、これまでの長い時間と多くの出来事を原点にして、空港と地域はともに未来に向かって歩んでいきます。
地域・空港それぞれが、成田の空と大地の歴史を心に刻み、新たなステージへと、ともに進んでいくこと、それが私たちの目指す未来です。
分ったような、分らないような
でもこれだけ揉めに揉めた成田闘争を何とか妥協するにはこうするしかなかったんだろうけど。
空港と妥協はしたけど、我々の気持ちも分って欲しい・・・という、地元の方々の思いだと解釈しました。
まぁ北原派と熱田派の分裂とか、いろいろあるんだろうけどねぇ
このミュージアムは円卓会議に参加した熱田派の皆さんの立場から描かれているように感じました。
成田空港の紛争は終結して居らず、まだまだ進行中なのですが、開始からもう50年経とうとしてます。
もはや民俗学の世界で語られるべき次元になりつつあるんでしょう。
是非は兎も角として。
農家に保存されていたヘルメットや赤旗も、古い農機具と一緒で、骨董品として貴重です。
空と大地の歴史館は秀逸な民俗学的・考現学的博物館だと私は感じました。
だったら、機動隊の楯や装備やフィギュアも欲しいところだけど、さすがに無理か
しかしながら多くの死傷者や、反対派内部でも激しい対立が起こったことから、
真実を語らずに(記録に残さずに)、闇に沈んでいった事実が沢山あるのだと思います。
残念ですけどね。
現在でも不完全なまま、日本の窓口として成田空港は新東京国際空港としての役割を務めています。
しばらくはこの状況が続くんでしょうねぇ