砂漠の街の夢  下 (ランファンver.) | 風紋

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鋼の錬金術師ファンの雑文ブログ



  リンとランファンに愛が偏っています


龍脈をつかさどる者、シン国皇帝。
東の大国の若き為政者。
ヤオ族首長にして、私の主(あるじ)。
そして、今ここでは国際錬金術・錬丹術学会の名誉総裁。

私はイシュバールに来ている。主のお供だ。
主が立ち上げのため尽力した『国際錬金術・錬丹術学会』の初会合のためだ。
シンのため、そしてアメストリスで体験した危機を二度と起こさぬために主は
この困難な事業をやり遂げた。
ロイ・マスタング中将を筆頭に有力な錬金術師を有志に始められた学会創設
は『錬金術及び錬丹術の発展と平和利用』を理念に掲げて行われた。
錬金術師が人間兵器として使われるような西の国々までも巻き込み、こんな
世界平和の理想を実現しようという会を作ることはシン国皇帝にしか出来な
かっただろう。
医療技術として発展した錬丹術の国であり、術師ではないが造詣のある皇帝
が自ら各国に呼びかけることで志ある術師や研究者が集まったのだ。

イシュバールに錬金術の研究都市が作られたと聞いてはいたが、こうして初会合
のため訪れて驚いた。
最初に砂漠越えをしてアメストリスを訪れたときは、もとの地形さえわからぬよ
うな瓦礫だらけの破壊された土地で、人気はないのに憲兵だけは見回っている
剣呑さに探ってみたい気持ちも抑えて足早に去ったものだ。
今はアメストリスの、軍からは切り離された国直轄の研究所と国立大学が
作られ、それに伴い民間企業の工場やホテルまでが出来ている。
シンとアメストリスを結ぶ鉄道が開通した時にもここを通ったが、発展をのぞむ
というありきたりな挨拶を本当のことに出来たのだと感無量になる。

国際会議とその後のレセプションに出席することになり、私は総裁の秘書とい
う立場でお供をすることになった。
皇帝の臣下で護衛ではなく、総裁の秘書。
どうしたものかと考えたが、主の本質は何も変わらないと思えば肝が据わった。
主が期待されているのはこの会をシン国皇帝御臨席という栄誉で輝かせること。
名前だけの名誉職だなどという的外れな批判が何ほどのことか。
ならばリン・ヤオ皇帝という眩いばかりの栄誉を御覧じろ。
私のお役目はその輝きを守ることだ。

一時帰国されていたメイ様と準備に追われた。
皇帝ではなく総裁だから、宮中の儀式にあたる者たちは使えない。
メイ様がアメストリスで使っているテイラーに依頼することにした。
出席者の装いでその会の格は変わるが、各国の術師と親しく語りあえるように
あまり仰々しくはしたくない。
よくよく考えてシンの衣装ではなく西洋の盛装を選んだ。
かたちは西洋をなぞっても、シンの懐の深さは失われない。
交易を通じあらゆる国から文物が入ってきたシンの王朝の歴史はどこの国のもの
でも受け入れ使ってきたのだ。好奇の目で見る輩には見せつけてやろう。
肩章や金モールで権威付けされた将軍の大礼服など霞むような、文化の洗練を
ご覧あそばせとばかりに。

西洋のテイラーにシンの生地で仕立てさせ、南洋の白蝶貝の釦や西域の玉を使っ
た装飾品をあわせる。
ディナージャケットは黒。襟に使われた渋い光沢の蜀錦がシンらしさを漂わせている。
ドレスシャツとチーフはあくまで清潔な白。溶けるような艶のある漆黒のタイ。
カマーバンドには、開催地への敬意を表し、イシュバール伝統の縞の織物。
イシュバラ神によって生を受けた体に慎みをもって腰や肩を覆う布を使った。
どこの国ともつかないが、主の黒髪が映える美しい装いになった。

秘書としてお供する私は黒のシルクドレス。
慣れない西洋の装いでも黒は馴染み深くてよい。以前主から賜った赤い扇も
映えるだろう。いざという時のために骨に鉄針が仕込んである扇だが。
西洋の姫のような足首丈の長い裾の広がったスカートは如何かと思ったが、
「タイトなロング丈シン式ドレスやマーメードラインのドレスなんかより、よっぽど
動けます!何ならスカートの中にいくらでも暗器を仕込めるし。」
というメイ様の言葉でこの型に決めた。
夜の宴は袖なしで肩をあらわにするドレスが正式だそうで、機械鎧の左腕を
覆うよう共布の長手袋がついている。
靴はここぞとばかりにシンの手仕事の粋を集めた総刺繍を使ったもの。きらきら
輝く金糸銀糸が複雑な模様を描いている。
首飾りの色石はドラクマの産だという光線の加減で深緑から暁紅にも見える。

メイ様はイシュバールの縞織物をシン式ドレスに仕立てられた。
ご自分の発表が古イシュバール語文献による錬金術/錬丹術分岐の歴史に
ついてであり、イシュバールの僧を束ねる師父と呼ばれる者に力になってもらった
感謝をあらわしたいからだという。
素朴な紺色の縞織だが、シンの吉祥結びで作られた飾り釦と案外うまく調和
して異国風の可憐さが出ていた。
「イシュバールストライプとして、広めたいんです。民族虐殺があってもかろうじて
残った手仕事で、祈りの象徴ですから。」
素晴らしい考えだと感心したが、反発も予想されるという。
「イシュバールへの偏見もまだありますし、イシュバール人じゃない私が身に着
けるのを嫌う人もいるかもしれませんね。」
それを聞いてここにいる間だけでも全力でお守りしようと誓った。
「何かあれば扇を骨ひとつだけ開いて合図して下さい。私も会場で警戒に
あたって危険を察知したら顔の横に扇を骨ひとつ開いて掲げます。」
「ランファンったら、優雅な扇すら道具ですのね。相変わらずというか、うん、
頼もしいわ。お願いね。」
メイ様は可愛らしい薄紫色の扇を振って笑った。
イシュバール縞の紺色と合って美しい姿だった。

学会は無事滞りなく終わった。メイ様の発表も素晴らしかった。
レセプションでの主はまさに栄誉を体現していた。
各国の有力者が挨拶に立ったが、悠然とした佇まいは際立っていた。
新聞社などの取材も来ており、今後の学会の発展が期待される盛会だった。

ロイ・マスタング中将から出席の報せを聞いていたが、エドワード・エルリック
とウィンリィ夫妻がレセプションに来てくれて顏をあわせることができた。
ひさしぶりの再会だ。
エドワードは私たちの姿を認めると目を見張り、そして腹をかかえ笑い出した。
失礼な奴だ。
近づきざま、脇腹を小突いてやった。機械鎧の左腕でなかったのはお情けだ。
「痛ってえ!顏をあわせたらいきなりこれかよ。」
「挨拶抜きで馬鹿笑いしてみせてこの程度で済むのをありがたいと思エ。」
「いや、面白いだろリンも何めかしこんでさぁ。」
「総裁と呼ベ。貴様も学会の会員だろうガ。」
「いやあ旧知の友というのはいいネ。どんな姿で会っても昔の仲になル。」
「いいんですカ、こんな」
とり散らかったやりとりをしていると金色の長い髪を揺らしてウィンリィが現れた。
「ごめんねうちのバカ亭主が早々に。」
水色のドレスのお腹が少しふっくらとしている。
「久しぶりウィンリィちゃん。直接会って言うのは初めてだネ、結婚おめでとウ。」
「そして、もうひとつもおめでとウ。」
私も率先してウィンリィの手をとり祝いの言葉を言った。
「何か月?」
微妙な話でも臆せず聞けるのは女同士の特権だ。
「6か月。安定期に入ったけど少し前まではつわりがひどかったわ。」
「そんな嫁をおいて先に行くとは貴様なんて奴ダ。」
「え、また俺?」
「ランファンなら怒ってくれると思ってた。ひどいわよね。」
全然ひどいと思っていない顏でウィンリィが言う。
「リンの姿見つけたらぴゅーって走ってっちゃうんだもん、どんだけ好きなのよ。」
「ごめんねウィンリィちゃん、俺モテモテだからサ。」
「リン、おまえ自分で言うかよそれ。」
「このあたりに居る者の半数は総裁と言葉を交わしたくて近寄ってきてると
思ってくレ。貴様の軽口も聞かれてるゾ。」
「その総裁は俺と話したいんだからいいだろ。」
その自信はどこから来るんだと訊きたいが、主は楽しそうにエドワードの旅の
話を聞いている。
私は扇を出し口元を隠しながら小声でウィンリィに聞いた。
「エドに振り回されて疲れたりはしていないカ。大丈夫カ。」
青い瞳を見開いたあと、ニッと笑って彼女は言う。
「チビの頃からの付き合いよ。慣れっこだから平気平気。」
「ウィンリィは強いナ。でも無理はしないデ。私の大事な友なのだかラ。」
「ありがとう。最近はスパナの出番はないよ。」
「それは良い傾向ダ。しかし何かあれば躾けてやらないとあの手の男ハ。」
「あー、さっきみたいな無礼千万とかね。やっぱスパナ要ったかな。」
「とりあえず今日はこれで行けばいイ。」
扇を畳んで左手の掌に打ち付けて見せるとウィンリィは驚いた顏をする。
「えー、私のとお揃いのこれでしょう?持ってきたけど叩きつけたりしたら壊し
ちゃうよ。」
結婚祝いに贈ったウィンリィの青い扇は色違いのお揃いだ。私のと違って鉄針
は入ってないが。
「畳んだとき外側に来る親骨で叩けばその一本に力が集中するから壊れル。
しかし畳んだ骨の並んでいる側ならすべての骨に力が分散して壊れなイ。
こうしてバシッとやれル。」
「へえー、なるほどね。いいこと聞いたわ。」
ウィンリィも真似て青い扇を掌に打ち付ける。
「私が教えたというのは内緒にしてくレ。」
「いやいやランファン、それバレバレでしょう!おっかしい!」
笑われてしまったが、ウィンリィが楽しそうで嬉しくなってしまう。
ひとしきり話したが、総裁と話したい人は多く私はそれに従いて移動しな
ければならない。
「もっと話していたいけれド行かなくてハ。」
「おうよ。あとでティーラウンジに来い。俺ら待ってるから。」
どうにも偉そうな口ぶりが治らないエドワードにはむかっ腹が立つが、その
提案はちょうどよい。
「総裁、そういうことでここは失礼しましょう。」
「ウィンリィちゃん、エド、じゃあまた後で。」

宴のあいだじゅう様々な術師と挨拶し話し、色々なことを聞いた。
宴のあとは約束どおり、ウィンリィとエド、アルフォンスにメイ様までが
集まって語り合うことが出来た。
あの年、シンに帰るときには思いもしなかった再会の仕方だった。
それをなし遂げた主は、どれほど強く未来を欲したのだろう。
私はそんな主に仕えられてどれほど幸せなことだろう。
夢のようだった。これは砂漠の街が見せた蜃気楼ではないだろうか。


高揚を冷まし、やっと落ち着けたのは寝室に引き上げてからだ。
随行員もほかの警護の者も下がり、二人きりだった。
ほの暗い灯火に張っていた神経がほどけて安らいでくる。
私は静かに佇んでいる主にお召し替えを促した。
「まだいい。それより」
向けられた目の光に麻痺したように動けなくなった。
最短の言葉で、いや言葉などなくともその眼差しひとつで主は私を操ってしまう。
呼吸の自由が奪われる。
望まれるままに吸えば顎があがり息をつけば唇がほどけてゆく。
やわらかく撫でるような口づけだった。
ゆったりと余裕ある愛撫に思わず陶然としそうになるのが少し悔しい。
―――情ひとつで放擲できるほど私の任務は軽くないのだから。
引き寄せられた胸を押し返して見返す。
そうそう思い通りにばかりにはなりませんと言外の抗議のつもりだった。
しかし、見上げたお顔には唇に歪んで滲んだ紅色。
私のだ。
少し間が抜けていて、そして大いに危険な色香があった。
これはいけない、どうにかしないと。
このひとがこのような隙を見せては大変なことになる。
何がどう大変なのかはわからないけれど、とにかく異物は排除せねば。

じっと見つめ目から微笑う。目頭から目尻、頬から口角と笑みを拡げる。
面をつけずに護衛のお役目をつとめるようになってから身に着けた微笑み。
他の者たちが言うには、妙に意味ありげで目が離せなくなるらしい。
私としては呼吸の読みあいであり、勝負と同じなのだが。
行ける。
肘からさりげなく耳元へ上げた手を推し出して指先を標的へ。
標的は主の唇。触れた指先で滲んだ紅を拭った。
「おいたはここまでです。」
強く牽制したつもりだったが、主はそんなことではまったくめげなかった。
抱きしめようとするのを寸でのところで背を向けかわす。
「逃げないで。」
背後から抱かれて囁かれると何もかも忘れそうになるから。
「だって。」
「顔も向けないなんて冷たいじゃないか。」
「このままじゃジャケットに白粉がついてしまいます。」
「そんなこと気にするな。」
「お召し物の管理も私の仕事です。随行員を減らしたのはどなたですか。」
「俺だな。」
「では秘書兼護衛のお願いを聞いてください。」
「わかった。ではどうしたらいい。」

しまった、と直感した。
主の仕掛けるゲームに乗ってしまった。
丁々発止なやりとりを好む主は、お互いのぞむことを言葉で言わせたがる。
仕事ならそのほうが良い。
だけどこんな色めいた場面では、私はどうにも困ってしまう。

「まずはジャケットを脱いでください。」
「それだけでいいのかい。」
「まずは、と申し上げたはずです。」
「もう二人だけの時間じゃないか。」
「それは後ほどに。今はお召し物に皺をつけないようにしたいので。」
「なら、あとで。」
割とおとなしく引き下がっていただいたと思ったが、
「焦らされた分、欲しいと言わせてあげるよ。」
そんな言葉をつけ加える、主はどうしてこう私をかき乱すのだろう。

ディナージャケットを脱ぐ主の背後に立ち袖を抜いたところをすかさず受け取り
ハンガーにかける。
その間に主はシャツの襟元に手をかけタイを緩めて引き剥がした。
手荒でいっそ粗野な振る舞いなのに、面倒くさそうにしかめた眉が物憂げで
なんともいえない色気があった。
シンで皇帝としての衣装を着ているときは、人間であってそれ以上の存在で
あると誇示するようで生身を感じさせない。
西洋の衣装は体を覆っていながら着けている者の生身を感じさせるようだ。
肩のひろさ、胸筋の漲り。
白い清潔なシャツの生地の下にある若い体の躍動を。

主は縞瑪瑙のカフリンクスに手こずっていた。袖口を顔に近づけ真剣な
面持ちでピンを外しにかかる。気難しそうにひそめた眉と眼差しに私は手助けも
忘れて思わず見とれていた。
開いた襟元と袖口から覗く素肌の鮮やかさに目をうばわれる。
やはりこの方はきっちりした隙のない正装でいるより、着崩した姿のほうがずっ
と似合ってらっしゃる。西洋の衣装だとなおさら。
ふと、グリードのことを思い出す。あれが主の身体を使っていた時の表情を
時折主のなかに見ることがあるけれど、こんな表情もあっただろうか。
黒い衣服の、闇の国の気ままな皇子のようだったあの男は。

「ん、どうした。」
「いえ、なんでもありません。」
そうは言っても誤魔化しのきく主ではないので、自分から白状する。
「どこか違う国の皇子様みたいだと。」
主の口の端が持ち上がり目尻を下げる。ニヤリと音がしそうな笑み。
「惚れなおした?」
そういう冗談めかした言い方をする時の主は照れが幾分か入っていることを
最近になってやっと私はわかるようになってきた。
「いやです、そういうからかうようなおっしゃり方。」
だいたい、惚れなおすなんて今まで気持ちが冷めたり離れたりしていたみたいだ。
そんな言葉は私の中にない。
「私がどれだけ長い間思い続けているかご存知のくせに。」
気の利いた返しはなかなかできないけど、嘘のない心からの言葉を伝えることで
主に精一杯応えるようにしている。
それが私の忠義で誠意だ。

私の言葉に主はご満悦の様子で
「レディ、首飾りを外させてくれませんカ。」
私をドレッサーの前へと促し、椅子の背を引いた。
かしずくような振る舞いだけど、有無を言わさずつきあわされるので私は
これも違ったかたちの奉仕だと思うようにしている。こうした遊戯は二人だけの
ときの余興のようなもの。私はどうにも大根役者にしかなれないけれど。
「どうゾ。」
せいぜいこの国の淑女のように余裕たっぷりの口調を真似てみる。
主は嬉しそうに背後にまわって首飾りの留め金に手をかけた。
おくれ毛に触れる指の動きを感じてのち、ふわりと感触が去っていく。
さっき縞瑪瑙のカフリンクスを置いた天鵞絨張りのトレイに、輝く石の鎖が
並んで置かれた。
「ありが…」
最後まで言い終わらぬ間に口づけが落ちてきた。
うなじに、首筋に。
「綺麗だ。」
押し殺したような囁き声と共に柔く濡れた感触が伝って。
「あ。」
予見していたことでもつい声が出てしまう。
「見てごらん。すごく悩ましい顏してる。」
主はそそのかすような声音で言う。
鏡の前に座ったときから魂胆はわかっていたけど、もう勘弁していただこう。
私はこういう時の自分の姿なんか見たくない。
主の情欲に暗く輝く目の光を受けるのはぞくぞくするけど。

「それより、まだ外すものが。」
主の気をそらすように声をかける。
私の着ているドレスは、体の線に添うように仕立てられていて脱ぎ着がしづらい。
「ここ、外してくださいませんか。」
背中のファスナーを指さす。
典雅な生地と繊細に作られた飾り金具は、私の左手で扱うにはやはり慎重に
ならざるをえない。
着つけてくれた仕立屋の優美な手つきを覚えているから尚更。

「あ、ああ。」
主を使いだてするのにはためらいがある。
しかしこんな遊戯の最中なら喜んでもらえるかと思ったのだけれど、反応が鈍い
ようだ。失敗だっただろうか。
背筋に沿って布を切り裂くような音をたててファスナーがおろされた。
同時に椅子から立ち上がり勢いよく両肩から布を滑り落とす。
ばさりと輪になって足元に落ちる布の塊。
豪奢な衣装は鎧だ。宴の席で堂々としているには必須の品。その輝きで生半可な
視線をはねかえしてくれる。
しかしその仰々しさで肩が凝ってもいたから解放感は格別だった。
足元の絹の海のなかから、靴も脱いで抜け出した。踊り子のようなレースの下着姿
になると動きが軽い。ステップでハンガーを取りターンでドレスを掛ける。

「あああ、せっかく色っぽい淑女だったのに。」
呆れたように主が言う。
「残念ながら私はがさつな護衛ですから。」
「そうじゃなく、もっとこう、さあ。」
「何がご不満ですか。」
「あんな恥ずかしがりだった娘はどこに行っちゃったんだろうな。」
ひとつ部屋で過ごすのに着替えを恥ずかしがっていたらやってられないのに。
「こういうお方に仕え続けてれば恥ずかしがりの娘だって図太くもなります。」
言いながら主のサスペンダーの金具をぱちんと外す。我ながら世話焼きだ。
「おまえのそう言う割り切りぶりは嫌いじゃないよ。」
苦笑まじりの主をおいて
「では私は顔を洗ってきますね。」
下着姿のまま洗面所に向かった。
目を強調した化粧は舞台役者のようで、自分の顏という気がしない。
油膏で顔を覆う化粧を落とし、石鹸で洗い流す。
鏡の中に見慣れた顏が戻ったところに、シャツを脱いだ主が写りこんだ。
「艶っぽい化粧顏もいいけど、やっぱりランファンは素顔がいいな。」
かがんで私の肩越しに顔を並べ頬を寄せてくる。
「こうして気にせずキスできるし。」
へにゃりと目尻が下がる笑み。心の温かくなる笑み。
ああ、やっぱり私はこのひとが好きだ。
そう思いながらの口づけは自然に長く深くなってしまって。

身体の芯が熱くなるのを感じてひそかにうろたえる。
それを知ってか知らずか、頬ずりが繰り返される。
頬に、額に、こめかみに。
欲が湧き上がる。もどかしさがつのる。
もっと触れてほしい。口づけが欲しい。熱い吐息が欲しい。
そう思ってしまった時点でもう駄目だった。

もう降参です。
このままあなたに睦言を囁かれながら脱がされながら意地を張り続けること
などもう私にはできません。
逃げなくては。
切羽つまったような気分に追い立てられ
「お先に失礼します。」
主から離れ素早くベッドにもぐりこんだ。

シーツに隠れて体にまといついている残りの衣服を取り去った。
お行儀わるく、そのままベッドの下に打ち捨てていく。
それは全面降伏の白旗。
主は私の振る舞いに呆気にとられたようで、しかしそれはすぐニヤリとした笑み
に変わった。
「やってくれるな。」
挑戦的な顏で言われ恥ずかしくて目を伏せる。
耳に届くのはベルトの金具がたてる金属音と、手荒く脱ぎ捨てる衣擦れ。
やがてすべて脱ぎ去った主がシーツの間に体を滑り込ませてくる。

すっかり裸の主からは先刻のどこかの皇子様のような雰囲気は消えている。
私の知っている、精悍な引き締まった体。守る力をもったたくましい腕。
寄り添って胸に額を押し付けつぶやく。
「こうすると安心します。」
触れる肌のなめらかさが心地いい。
「いつもの、リン様。」
うっとりと酔ったような声になってしまう。
体温のあたたかさはまどろみに落ちていくときのように心地よくて目をつむる。



このときの私は、いつになく激しく求めてくる主に翻弄されてわけがわからぬく
らい乱れ、くたくたになるほど長い夜になると予想できてはいなかった。