嘉門タツオの「愛めし」

最終回「愛めしを追いかけて」

 

 還暦にちなんで、僕の好きな飲食店の事を60回書き記しておこうと思い、この連載は始まりました。お陰様で好評を頂いて、番外篇10回を加えて計70回、14ヶ月に渡って無事連載を続けることができました。

 様々な仕事で旅に出る暮らしを長く続けています。訪れた土地の食べ物にも魅了され、いつからか料理人の哲学に深い感銘を受けるようになりました。どういう思いで、どんな影響を受けて現在のこの料理が出来上がったのかという点に興味が移り、ただマニュアル通りに並べられた「記号」のような食べ物では物足らなくなってゆきました。

 そもそも、母方の祖母は戦後大陸から引き揚げて来た後、山口県徳山の自宅マンションで「花田クッキングルーム」という料理教室をやっていました。里帰りする母に連れられて、小さい頃から若いお嬢さんに料理を楽しそうに教える祖母の姿を見て育ちました。母の料理もいつも美味しく、高価な食材ではないけれど豊かで愛のある食事に恵まれて育ちました。16歳で鶴光師匠に弟子入りした際は、繁華街で育った師匠の奥さんから今まで知らなかった街の食をたくさん教えてもらいました。

 デビューして旅を生業にするようになると、その土地でしか味わえない物にも随分出会いました。それぞれの違いを理解したくて、30 年前のツアーでは全国60箇所訪れた町で必ずラーメンを食べるという課題を実践し、尿酸値が急上昇して痛風発作に泣かされたりもしました。そんな中、ラーメン店のみならず、お気に入りの店に何度も通い料理人の皆さんと語る中で、人との相性を含めての好みが明確化されてきました。料理王国という専門誌に一時期連載をしていた事も、より料理を深く知るキッカケとなりました。高慢な人が作る料理はどこか高慢な味がするし、知識や経験のない料理人のものは、満足度に欠けます。熱意や丁寧さは武器になるし、もちろん天才も存在します。

 60歳を越えて、あと何年美味しく食べられるのかと憂う思いも頭をよぎる中で、もはやどうでもいい物は食べまいという決意のようなものも生まれています。そしていつまでも、愛のある「愛めし」を追いかけていこうと思っています。