週刊ポスト


 当時、僕は小学校6年生で、万博会場のあった吹田市の隣、茨木市に住んでいました。バスで10分、自転車で30分です。開催に向けて茨木も急速に変化しました。駅に急行が停まり、駅舎が木造から鉄筋に変わり、駅前の沼がバスターミナルになり、道が舗装され……。開幕日に自衛隊のブルーインパルスが空に「EXPO’70」の文字を描き、花火や風船が上がるのが見えたときには、日本の新たな幕開け的な高揚感を覚えました。
 最初に行ったのは3月29日。動く外国人を生で見るのが初めてだったので、サインをもらっていたんですよ、ただの外国人から。そのサイン帳が残っていて、最初のページが3月29日なんです。行くのが当たり前という感覚で、友だちと、家族と、学校の遠足でと、計21回行きました。何度も行くうちに友だちが金網の破れている所を見つけ、そこからただで入ったことも2回。月の石で人気のアメリカ館の出口で中に向かって「お母さん!」と叫び、さも母親を探しに行くふりをして入った悪い友だちもいましたよ。
 外国人のサインに飽きると、興味がスタンプを経てバッジに移りました。いつでも誰でももらえるパビリオンもあれば、その国のナショナルデーにしか配らないとか、VIPにしか渡さないところもあるとわかってきた。それで僕は、各パビリオンに「バッジをください」と手紙を出しました、自分の住所、名前も書いた返信用の封筒を入れて。50、60は出したんと違いますか。みんな友好的で、送ってくれるパビリオンも多かった。それも含め集めたのが68個。これは学校で第3位でした。
 パビリオンでよく覚えているのはワコール・リッカーミシン館。愛がテーマで、性の神秘を描いた映像を流し、その中でお兄さんとお姉さんがキスするし、裸で踊るんです。初めて女性の動く乳房を見て、ムズムズして身体に変化が起こり、友だちに話したら「お前もか!」って。それ以来、会場に行ったら何があってもまずはワコールに行く。
 動く歩道に乗り、サンヨー館の「人間洗濯機」を見て、将来はこうなんのやと信じていました。21世紀になれば普通に月に行けるぐらいのイメージで、未来を信じていたんです。これ以上面白いことはこの先の人生にないんちゃうかと思ったくらい万博は面白かった。
 期間中、6千万人以上の人が来た。なのに、終わった途端誰も来なくなり、翌日から万博用に敷設されていた線路が外され、電車も来なくなった。パビリオンが鉄球で壊され、倒されていった。丘の上に行って、その様子を何度も見ました。切なくて涙が出て、呆然としましたよ。