日刊ゲンダイ

嘉門タツオの「愛めし」

58回「京味DNA  くろぎ」


 京味の西健一郎さんのDNAを引き継いで独立されている料理人は多い。その中でも最も精力的に展開されているのは「くろぎ」の黒木純さんだろう。芝大門に本店を構え、40歳前後の最も油の乗った料理人達を率いて、見事な連携でくろぎワールドを繰り広げている。カウンター越しに提供する素材を見せて目を奪い、眼前での鮮やかな包丁捌きに見惚れる。黒木さんが京味に居たのは僅か5年程だったが、1番怒られたのは自分だと振り返る。以前、西さんに「黒木さん頑張ってますね」と言うと、「あいつはなかなかすばしっこいんですわ」と嬉しそうにおっしゃっていた。西さんがおせちを辞めて黒木さんが引き継いだ年は深夜まで仕込みが続き完成が危うい局面を迎えていた。深夜にフラッと西さんが現れて無言で手を貸してくれたという。気になる弟子だったのだろう。

 ご両親が宮崎市で割烹を営んでいたので、学校から帰るとランドセルを置いて父親が魚を捌くのを見て育った。だが、最初から明確に和食を目指していた訳ではなく歌舞伎町のホストクラブのキッチンを経た後、料理人組合を通じて和食の店に入った。ようやく真剣に日本料理に取り組もうと思い始めた矢先に、偶然にも本屋で西さんの本に出会いその美しさと哲学に魅了された。ここで働きたい、と訪ねて行ったがアッサリと断られ、それでも諦めずに4回目に訪ねた時に、なんとか喫茶店で話を聞いてもらえた。熱意が伝わり、空きが出たらおいでと言ってもらえるも、ひたすら待たされた。その間市場で魚の捌きを勉強したり、寸暇を惜しんで働いていたら、3年後、21 歳の時にようやく入れてもらえた。言葉遣いから礼儀なども含めて徹底的に仕込まれて、西さんの運転手も務めた。そして湯島で独立し、2年前に芝大門への移転も含めてフィールドが拡大し続けている。和スイーツや鯛茶漬けの店だけでなく上海にも進出し、地元宮崎では「実家くろぎ」を設けてご両親と妹さんに任せている。板場に立てなくなったら終わりと、肉体トレーニングも欠かさない。若い衆や後輩の面倒見も良いボスキャラなのだ。まだまだ発展するであろうくろぎワールドと同時代に生きる喜びを噛み締めている。