嘉門タツオの「愛めし」

46回「 万博から万博へ   道頓堀商店会」


   大阪出身の僕だが、2010年に開催された上海万博で道頓堀商店会の皆さんと仲良くなって、ようやく関西の食文化の扉が開いた感じがする。まず最初に日本産業館に出店されていた「たこ家  道頓堀くくる」の永尾社長と知り合い、たこ焼きの歌を作って中国語で歌った。合計11日間ステージに立ち、総合プロデューサーの堺屋太一先生から日本産業館応援団長に任命していただいた。ステージの合間に、焼きたてのたこ焼きをハフハフ食べるのも楽しみだった。その時、5年後に迫った道頓堀開削400年祭を成功させたいという思いを永尾社長から伺い、大阪に戻った時に道頓堀今井、串カツだるまと、炭火焼肉道頓堀みつる、それぞれの社長と会食をして、FM大阪で「カモン!EXPO大作戦!」という番組をスタートさせる運びとなった。僕は「レッツゴー!ミナミ!」と「道頓堀へいらっしゃい音頭」を作って何度も歌った。CDのジャケットは寒空の道頓堀で撮影したのだが、冷え切った身体を今井のきつねうどんが暖めてくれた。2013年に僕のデビュー30周年コンサートを万博お祭り広場で開催した時には、皆さんが出店してくれて大盛況だった。そして迎えた2015年、僕が歌う「道頓堀へいらっしゃい音頭」に合わせて、浴衣を着た2025人が一糸乱れず盆踊りを踊ってギネス世界記録を達成して、開削400年祭に花を添えた。皆さんとお話する中でも特に、だるまの歴史に惹かれた。店を畳むと聞いた赤井英和さんが、この味をなくしてはならないとボクシング部の後輩の上山さんに継ぐように依頼した。サラリーマンだった上山さんは1から串カツを勉強して店に立ち繁盛させて、現在では全世界に20店舗近く展開されている。このエピソードは「だるまのオッサンの歌〜ソースの2度漬けは禁止やで〜」という歌にした。2017年にはカザフスタンで開催されたアスタナ万博に皆さんと乗り込んで、世耕経産相(当時)と松井知事(当時)と共に2025年の大阪万博誘致をアピールするパレードをした。その甲斐あって万博開催が決定!6年後に向かって、皆さんと共に大阪はじめ関西の良さを世界に再びアピールしたいと思っている。